大澤龍司法律事務所 相続問題無料相談ブログ

いじめ問題に関わる学校の情報管理

外部リンク:<いじめ母子心中>両親のメモを無断で相手に 学校の対応に家族不信募らす


記事によれば、いじめの被害申告を受けた女子生徒の両親が、同級生宛に書いた質問事項のメモを学校側が無断で同級生側に渡してしまったことで、女子生徒の両親は学校側に不審を抱いたようである。

いじめの問題は大人が手を出しても解決できない部分が多く、関係者に対するデリケートな配慮が必要なことが多い。学校側も被害女子生徒の両親がどのような心境で作成した質問事項だったのか、どのような形で先方に質問を伝えたかったのか、慎重な配慮が必要だったと思われる。

開示が無断だったことについての問題はさておき、記事を読んだ方の中には「どうせ質問する内容なのだから質問事項を見てもらってなにが問題なのか?」と思う方もいらっしゃるかも知れない。
推測ではあるが、メモを渡した校長もそのような考えだったかも知れない。
同級生の方に深く考えてほしい、あるいは事前に調べて回答して欲しい質問だったのなら、開示しても結果的にそれほど支障は無かったかもしれない。

しかし、質問の内容によっては話が違う。
同級生の率直な気持ちを聞きたいということから、面談時などの現場で直にぶつけてみたい質問だったかも知れない。
 弁護士の立場で例えるならば、法廷で相手方の証人にぶつける決め手の質問が事前にバレてしまったようなものである。これでは適当な言い訳を事前に準備されてしまい、本当に聞きたいことが聞けなくなってしまう。
 質問内容は明らかではないが、そういう質問だったのではないだろうか。

先ほども述べたが、いじめの問題は根深く、どんなに大人が乗り出しても見えにくい部分は多い。特に学校側は、なにも証拠なく特定の生徒を疑ったり処分したりするわけにもいかない。その結果、被害申告を行った生徒側とは意識のズレが起きやすいのかもしれない。ここに一つのいじめ問題の難しさがある。
だからといっていじめの問題を放置するわけにはいかない。
今回は情報管理に関する指摘だったが、根本的には、いじめの申告があれば事実確認も解決方針の決定も対処も迅速に進められる体制作りを整えていかなければならないだろう。
死ななくてもよい命が二度と失われないよう、大人たちは努力を続けるしかない。
(弁護士 北野英彦)

(弁護士コメント)
岡井:
学校側は、どうもいじめの問題から目を背けがちで、学校側の対応不足や対応の遅さによって最悪の事態が生じてしまったのではないかと思われることも多い。
この原因は、いじめが起きたとき、どのように対処するかという点がきちんと検討されておらず、方針を打ち出す人がいないからではないかと思う。
対処の方針が立たないからといって何もせず放置したり、今回のように軽率な行動をしてよいのかというともちろんそうではないのだが、いじめは非常にセンシティブな問題であるため、校長をはじめ学校の職員だけでなんとかできる問題ではないように感じる。
教育委員会や児童相談所、弁護士、医師、心理や福祉の専門家、必要に応じて警察や保護司などとも連携の上、被害者については弁護士、医師、心理や福祉の専門家が丁寧に話を聞き、状態によっては無理に登校させないなどといった対応をすることが必要である。
また、加害者についても、家庭環境や自身の精神状態の不安定さなどから加害行為に及んでいる場合も多いと聞くので、同じように、弁護士や心理福祉の専門家、場合によっては保護司などによる対応が必要になるのではないだろうか。

大澤:
いじめ問題が発生した場合、いじめの現場から被害者児童を隔離する必要がある。
今回のケースでは一旦は隔離したようだが、安易に教室に戻したようであり、これが最悪の結果を招いたようだ。
いじめ問題が難しいのは、教師あるいは学校側としては、いじめられる側といじめる側がともに生徒であるという点だ。
そのため、双方の言い分が対立する場合、学校側としてはどちらにもつけず、にっちもさっちも行かなくなる場面があるだろう。
その解決ために、岡井弁護士のいうような、学校とは別の立場で関与する人や制度が必要だろう。
心理的なケアのためにカウンセラーなどが、また、事実関係の調査のために弁護士などの専門職が向いているだろう。
当然、予算が必要だが、次世代を担う子供たちのためであり、命に係わる問題でもあることを考えれば、予算うんぬんの話ではない。
心理的なケアは加害者児童にとっても必要だ。
自分が意識もしない行為がいじめと受け取られている可能性もあり、仮にいじめになる行為だとしても、そのいじめをやめさせるには加害者児童の心理ケアも必要不可欠だろう。
今回のケースの特異性は母親による無理心中ということであるが、このようなケースを考えると親まで視野に入れたケアが必要であり、到底、学校側で処理できる案件ではなかろうという点からも、ますます専門家の関与は必要不可欠であろう。
なお、被害者のメモが、学校により加害者側に渡ったことも問題になっている。
そのメモの内容がどのようなものだったかは不明だが、そのままメモを渡すなら、なぜ被害者側の了解を取り付けなかったのだろう。
このメモの扱い一つをとっても、学校側の無神経、無策、無能力がはっきりしている。
しかし、それで学校を責めても問題の根本的な解決にはならないだろう。
やはり、第三者の関与は必要不可欠ではなかろうか。

地下鉄の運転、ひげがあっても、なかってもできるはずだが・・

外部リンク:ひげ禁止訴訟で大阪市に44万円賠償命令 「生やすかどうかは個人の自由」大阪地裁


男はなぜひげをのばすのだろうか。
今回の関連記事(外部リンク:人生相談 男性が「ひげ」を生やす理由が分からない)を見ていると、75歳の女性の《私はひげが嫌いです。不潔感といやらしさを感じます。》、《男はなぜひげを生やすのか教えてください》というのがあった。
私も同意見だ。
私は、日本人でひげが似合う人は少ないと思っている。
その数少ない例外が、今は亡くなったが、ラグビーの神戸製鋼の平尾誠二だ。
ただ、男性であると女性であるとを問わず、ひげの好きな人もいる。
ひとそれぞれの好みということだろう。
ちなみに元大阪市長だった橋下徹氏の顔ではひげは似合わないだろう。

さて、裁判のことであるが、ポイントは、ひげが仕事に差支えがあるかどうかである。
今回、問題となった仕事は地下鉄の運転であるが、ひげがあっても運転になんの支障もない。
また、地下鉄に乗るとき、運転士の顔を見ることもほとんどないのだから、接客という面でも職務にはほとんど関係がない。
ただ、あまりにも見苦しい無精ひげということであれば、運転には支障がなくとも、乗客に不快感を与えるであろう。
また、そのような無精ひげを見過ごしている事業体の管理体制に疑問がつき、《ちゃんと従業員を監督していないのかいな》という企業のイメージダウンにつながる。
このような場合には、査定評価がダウンしてもやむをえないと思われる。

今回の従業員のひげであるが、似合わないと思う人もおれば、似合うという人もいるだろうが、それは個人の好みの問題であり、美意識の問題である。
いずれにせよ、今回の問題の解決には影響しない。
間違いなくいえるのは、それなりの手入れがされており、不快というレベルではないということだ。
これで査定が下がるというのであれば、それは気の毒であり、納得できないというその従業員の気持ちもわかる。
裁判所も同じ気持であったのだろう。
ということで、今回の判決結果は私としては、極めて妥当なところだろうという見解だ。

最後に、ひげがあれば一律に評価を下げるという姿勢が気になる。
ひげは嫌いというのは個人の価値観であり、それをとやかく言う気はないが、市長という立場でそれを制度化して、ひげがあれば査定評価をさげるというのはなんとも怖い。
仕事につくからといって、事業体や上司が、従業員のすべてを制限できるわけではない。
しかし、反面、どんなひげでも許されるということではない。
無精ひげを生やし続け、誰が見ても不快というような場合には当然、評価が下がるだろう。例えば、今回の地下鉄のケースで言えば、制服を拒否して私服を着用して勤務すれば、それはやはり職場規律違反として評価が低くなることはやむを得ないということになるだろう。
多数の人が殺到する中で、制服により従業員かどうかが一見して明らかになるという点で、制服の着用させることに合理性があるからである。
また、業種―例えば接客業―によってはひげをはやすことを一律に禁止するのに合理性がある場合もありうるということも注意をしておいてもいいだろう。
(弁護士 大澤龍司)

(弁護士コメント)
北野:
 私自身は、20歳前後のころにホテルで宴会のアルバイトをしていたことがあり、そのときは服装や髪型を厳しく言われた。髪は黒髪に限定、パーマは御法度、仕事の度に整髪料で固めないといけないし、ヒゲなど論外であった(女性も必ず髪をくくるように決まっていたように思う)。もし一つでも違反があると仕事に入れてもらえなかった。飲食業であり、特に格式や信頼を重視する業種であるため当然だとは思うが、やはり厳しかった。
 他方、同じ接客業でも、居酒屋やコンビニなどでは金髪や茶髪のバイトさんも見かけるが、そこはホテルとコンビニの客層の違いでルールの厳しさがやや緩和されるのだろう。つまり、仕事の内容でルールの厳しさは違ってくる。
 今回のヒゲ問題で言えば、仕事は電車の運転手。運転手は運転技術で仕事をするのだから、顔つきで仕事に影響が出るとは思わないし、少なくとも私はヒゲの運転手を見ても特に気にしない。そんな運転手の電車は乗りたくない、という投書が殺到したのだろうか。
むしろ、運転手を評価するのであれば、大阪メトロで停車時のブレーキが粗い運転手が時々いるので、そっち方を厳しく取り締まって欲しいと思うくらいである。あれは(私を含め)乗り物酔いに弱い客には辛い。
 今回の判決話を元に戻すと、今回の判決には余分な就業規則に歯止めをかける意味があると思われるため、結論においては賛成である

岡井:
昔は、今では考えられないような規則や校則があった。
私が学生の頃は、自分の通っていた学校ではないが、「男子は丸刈り」、「女子は肩につく髪は結ぶ」「黒髪でなければならない」、「制服の下は何も着てはいけない」などといった校則があると聞いたことがある。
「風紀が乱れる」という、もっともなようで中身のない理由をつけて、校則に縛られていた。

学校でも、会社でも、学生や職員にルールを課す際は、その背後に、そのルールを課すことの合理的な理由がなければならない。

今回の、ひげの問題については、大澤弁護士もコメントしているように、合理的理由があるとは言えないだろう。
もちろん、同じひげの問題でも、職種によって合理的理由があるかは異なり、飲食店など衛生面の問題があるのなら別である。
「従業員はひげを生やしてはいけない」というような単一的な判断をするのではなく、当該会社で当該従業員がひげを生やしていることが与える影響や問題について、具体的に考えた上で判断をすることが必要である。

大晦日、禅寺で除夜の鐘に突然沸いた拍手はなにか?~暮れから今年のお正月!!③

昨年の大晦日の夜、京阪電車が東福寺駅に着くころには既に除夜の鐘が鳴り始めていた。
駅の改札口を出て約5分、東福寺の門前についた。
まだ、20代後半だろうか、若い僧が立っていた。
《見るだけになりますが、それでいいですか》と言われた。
《見るだけ? ん?》と思った。
鐘のついているのを見て、その音を聞く以外に何があるのだろう?
わからないままに、《いいです》と言って境内に入れてもらった。

境内は暗かったが、先に歩いていく人がいたのでついて行った。
階段があり、そこだけが照明で明るくなり、約100人程度の人がいた。
よく見ると、鐘楼への狭い階段があり、そこに人がならんでいた。
鐘が一つ鳴る度に人が降りてくる。
その度に、待っている人が階段を1つずつ、上がっていく。
そうか、そういうことか。
ここでは、見物客に鐘をつかせてくれるんだ。
門前で僧が言ったのは、《先着順で受付したので、除夜の鐘をつく人は満杯になった。鐘はつけませんがそれでもいいですか》という意味だったのだ。

その場でしばらく鐘の音を聞いていると、突然、拍手が沸いた。
またしても《ん?》と考えた、誰か有名人でも来たのだろうか?
しばらくして、わかった。
12時を過ぎたんだ、新年になったんだ。
応援や激励だけではなく、こんな時にも拍手をするのか。

《おめでとうございます》という言葉ではなく
新年になったという感動を拍手で表現するというような方法もあるのか。
東福寺は禅宗であり、《不立文字》などということがある。
禅の教えは文字や言葉などでは伝えられないという意味のようだ。
おめでとうの言葉ではなく、拍手という行為で新年を迎えるのは、このような禅宗の在り方と関係があるのか、それとも全く関係がないのか・・


ぼやけた東福寺

目を閉じて、耳をすませば除夜の鐘の音が聞こえてくるような・・

大晦日の東福寺の門前

一番大切なものは何か

外部リンク:NGT運営 山口真帆の騒動でメンバーの関与を認める…「帰宅時間を伝えた」

【行き交う様々な情報、推測】
今回の件は、人の身の安全が脅かされた単なるスキャンダルとは異なり、重大な事件であると考える。
もっとも、インターネットやテレビでは、同じグループのメンバーの関与の有無など、様々な情報や推測が行き交っており、現時点では何が事実で何が事実でないかよくわからない状態である。
ツイッターの発言などからもっともそうな推測がなされていたとしても、それを事実として受け取ることは弁護士の目線からは危険であると思う。不適切な発言が名誉棄損等の問題を生じさせる可能性があるだけでなく事実とは異なる情報に惑わされることにより、身の安全を守る(危険への対策を行う)ことがおろそかになる可能性すらある。
したがって、今の時点で、確かに誤りがないとされる事実は多くはなく、(マスコミによる報道も含めて)現在の情報を鵜呑みにするのは適切ではないであろう。

【現在行われるべきこと】
現在、事実として固い部分は、男性2名により山口さんという方が暴行を受けたということである。この暴行に関しては不起訴処分とされているが、不起訴とされたことに関しては明らかに不当とまでは言えないのではないか。これがアイドルではなく一般人への暴行であったなら起訴はされないことが多いであろうし、もちろん報道もされないであろう。
犯罪の対象がアイドルであることから罪が決定的に重くなるということは、基本的にはない。
 しかし、犯罪の対象がアイドルであることから、模倣犯が発生するなど社会への影響は否定できない。
 つまり、犯罪対象がアイドルであることから当該事件の犯人の罪が直ちに重くなることはないが、アイドルが対象であることは同様または類似の犯罪が再度行われる可能性を高くする要素となるということはいえる。
 したがって、犯罪に関与したメンバーの調査に主眼が置かれている(ように感じられる)が、現在、取り急ぎ行われるべきことは、同様または類似の犯罪の被害を受けないように具体的な再犯防止策を明示・実行することではないだろうか。(防犯ブザーの交付という対策は一応あるようであるが、)様々な情報や憶測が行き交うことにより一番大切な対応が遅れているように感じられる。
 原因の追究や細かな経緯の確認などはその後でよいのではないだろうか。

(弁護士 畝岡遼太郎)


(弁護士コメント)
岡井:
この騒動については、事実関係があまり見えてこないが、被害にあったアイドルが必死で訴えたことを、運営側がもみ消したように見えることは事実である。

華やかに見えるアイドルの世界も、過酷な労働状況にあったり、違約金で縛られていたりする現状があるということは、よく報道で耳にする。
直接の因果関係があるかどうかは不明であるが、アイドルが自殺をしたというような話もある。

今回の件は、同グループのメンバーの差し金であるというような噂もあるところではあるが、事実関係がどのようなものであるにしろ、運営側が被害に遭ったアイドルを守るという姿勢が見られなかったことが問題である。
被害に遭って傷ついている者を、さらに傷つけ二次被害を与えるようなことは絶対にあってはならないことである。

北野:
 法的な観点とは少し違うが、今回は運営側の社会的責任という観点からコメントしてみたい。
畝岡弁護士が述べる通り、この事件は単なるアイドルへの暴行事件というだけではなく、内部からの情報で帰宅時間など把握できてしまった、というメンバーの安全管理の問題である部分が大きい。
 私のうっすらとした記憶ではあるが、ここ数年でアイドルが(握手会などで)一般人から暴行を受けるという事件がいくつかあったように思うし、運営側も安全には気を遣っていたはずである。それにもかかわらず他のメンバーが(うっかり)推測できるような帰宅時間を他人に教えてしまったのであれば情報管理への指導が不徹底というべきだろう(もし、無理やり帰宅時間を聞き出されたのであればそのメンバーの安全にも関わる問題である。)。
この点を運営側・メンバー・ファン、そして社会が取り囲んで議論していくことが再発防止にとって最も重要であるし、最優先で取り組まなければならない。そうでなければ、楽しいはずのコンサートイベントを作り上げることはできないし、個人的にはそれこそが「アイドルを応援する」ということだと思う。

大澤:
テレビはよく見るが、芸能ネタは興味がないので全くみない。
そのため、この記事だけを見ても何が何だか、まったくわからない。
今回はコメントを差し控えたい。

闇の中に燦然と浮かび上がる知恩院の巨大な門~暮れから今年のお正月!!②

八坂神社から知恩院の方に歩いて行った。

ここでも門はライトアップされていた。

昼みても、この門は大きい。

しかし、暗闇では光を浴びているため、さらに大きく見える。

開門を待つ人の長い行列ができていた。

この寺の有名な鐘が除夜を告げるのを聞きたい、

境内に参拝したいという人たちであろう。

 

昼ではあるが、知恩院にはこれまで3度くらい、来たことがある。

いつか、正確な時期は忘れたが、本堂の前を歩いているときにお経が聞こえてきたことがある。

もっと聞きたいということで、本堂に上がり、隅っこに座っていた。

本堂も大変大きな建物である。

天井が高く、手前の畳が広く敷かれており、奥には仏壇があった。

お経は仏壇の奥の方から聞こえてきた。

不思議なことだが、そのままお経を聞き続けたいという気持ちになった。

気持ちが、宗教的な雰囲気になってきたという感じであった。

しかし、お経はすぐに終わった。

私は、その後、15分くらい、そのまま座っていたが、お経が再開されることはなかった。

 

除夜の鐘が鳴りだすには、まだ1時間以上も時間がある。

待っているのもしんどいので、帰ることにした。

門を背にして参詣道を祇園の方に歩いて帰っていった。

足元を照らす照明しかなく、道は暗かった。

5分ほど歩いたところに小さな門があり、そこからあの巨大な門を振り返った。

遠くではあり、小さくもあったが、照明に照らされた門が暗闇の中で燦然と輝いていた。

 

浄土宗は鎌倉時代に法然上人によって開かれた。

善行を積んでいない人、困った人、苦しんでいる人でも念仏を唱えれば、すべて救われるという教えである。

法然上人の教えによりどれだけ多くの庶民が魂を救済されたであろうか。

私は無宗教であるが、その当時の庶民にとっては、法然上人は、この輝く門のように、暗闇の中で燦然と輝く光であり、生きる勇気を与えるものであったろう。

 

知恩院の巨大な門

 

遥か遠くに知恩院をながめる

冤罪事件―捜査機関や裁判所に本当に過失はないのか―

外部リンク:「友人も仕事も失った、戻れない」強姦冤罪の男性の失望

冤罪は、真っ当に生きてきた人の人生、また、その家族の人生までも揺るがしかねない。
本件で、再審において無罪になった男性も、約6年にわたって身柄を拘束され、仕事を失い、多くの友人も失うという、多大な被害を負ったとのことだ。
男性が、警察、検察に加え、有罪の判断を下した裁判所の責任を追及した国家賠償訴訟において、男性の請求が棄却されたという。
本件事件については、報道で知る限りではあるが、雑感を述べたいと思う。

この件で冤罪が起きたのは、被害者の女性が虚偽証言をし、それを鵜呑みにした結果であると、報道では言われている。
性犯罪の場合、どうしても、被害を訴えた被害者側の証言が重視される傾向にある。
痴漢で冤罪が起きやすいのも、被害者の証言を信用した結果という面が大きいのであろう。

性犯罪の被害者が、被害を訴えることには大きな勇気と覚悟が必要であるため、被害者の証言を真摯に聞き、重視すること自体は正しい姿勢である。
ただ、強姦事件の場合、被害者の証言のみに頼らなくとも、客観的裏付けがあることが多い。
客観的裏付けがあるのであれば、その内容は無視できない。
本件でも、被害者が事件直後に産婦人科を受診した際の診療記録があり、そこには、強姦の事実がなかったことを基礎づける内容が記載されていたと言われている。
どこまでの内容であったのかは定かではないが、もしも本当に、強姦の事実がなかったことを基礎づける内容であったのであれば、その診療記録を考慮せずに判断をしたことには、大きな問題があると言わざるを得ない。

本件の判決では、裁判所は、「(検事は)やや性急な感を免れないが、通常要求される捜査を怠ったというのは困難」「(うその告白を)うかがい知ることができる証拠は(裁判所に)提出されていない」と判断したとのことであるが、客観的に強姦の事実がないことを示す証拠があったのに、それを考慮せずに誤った判断をしたのだとすれば、それは「過失」以外の何物でもないのではないだろうか。
(弁護士 岡井理紗)

(弁護士コメント)
北野:
 私も刑事事件の弁護で時折、「無罪を主張したい」という話を聞く。犯行時刻に他の場所にアリバイがあったという証拠が出てくればよいが、そう都合よく無罪を示す証拠があるケースはなかなかない。そのためか、今回の様に無罪であることを示す(かもしれない)産婦人科の診療記録があったということなら、裁判所がそれを無視したとなれば弁護人としても怒り心頭である。
どのような理由でその証拠が排除されたのはわからない。
しかし、裁判官も検察官も人間である以上、どんなに注意しても間違いはあり得る。人の一生を奪う判断をするわけだから、やはり見るべき証拠はきちんと見て、被告人の言い訳にもきちんと耳を傾けて判断しなければならない。
 この裁判は今後の裁判所の姿勢やえん罪防止のあり方について問題提起をする意味で、今後も注目していきたい。

畝岡:
これまで、足利事件や免田事件をはじめとする、殺人事件や強盗事件における捜査段階のミスなどは国家賠償法上の不法行為に当たらないと判断されてきた。
冤罪事件において国家賠償法上の損害賠償請求が認められなかった場合、身柄拘束を受けた者への救済は刑事補償法上の補償のみである。この保障は最高額の場合でも拘束されていた日数1日当たりにつき1万円少々となる。身柄拘束を受け続ける日々に対する補償として、この金額は通常の市民感覚から見ても明らかに低額ではないだろうか。
刑事補償法による補償をもう少し手厚くするか、国家賠償法が適用される要件をもう少し緩和することが検討されても良いのではないだろうか。

大澤:
今から約45年ほど前、弁護士になった直後に、先輩弁護士から担当を命じられた事件が今回の同じような事件であった。
和歌山のある町の町長さんが、収賄で起訴されたが、結局、無罪の判決が出て、確定した。しかし、そのような事件に巻き込まれたことから、その町長さんの政治生命は絶たれた。
そのため、検察官の起訴に過失があったとして、町長さんが国相手に損害賠償請求をしたというものだ。
一審の和歌山地裁では勝訴したが、大阪高裁で負け、最高裁では高裁の判断がおかしいということで、再度、高裁に差戻になり、その後、高裁で最終的には請求は認められなかった(この事件の詳細は、リンク:弁護士紹介 これまで扱った主な著名事件 「中前国賠事件(原告側)」)。
この高裁判決が出るまで約10年が経過した。
その間、元町長さんは死亡し、その息子さんからは差戻審の高裁判決が出た後、《先生、もう十分に頑張っていただきました。もうこれで結構です》ということで再度の最高裁までいかずに終了した。

懐かしいので、思わず昔の話を長くしてしまったが、今回の記事を考えてみよう。

罪の証明は検察側がしなければならない。
強姦罪の場合、検察側が①被害者が加害者と性交渉をした②性交渉が被害者の承諾なしに無理に行われたという点を検察側がしなければならない。
強姦罪は、その多くが被害者と加害者の2人の間で発生する事案が多く、両者間の主張が異なることが多い。
そのため、検察としては、まず、争えない客観的な証拠として何があるかを必死で調査しなければならない。
上記①についての最も重要な証拠は、被害者の衣服や身体に残された精液の痕跡があるかどうか、あればその精液は加害者のDNAと合致するかどうかである。
上記②については被害者の承諾という内心の意思の問題であり、他人にはわかりにくい。
しかし、被害者の体にあざや傷があれば、犯行行為時に被害者が抵抗したと証明する有力な証拠であり、強姦を立証する強力な証拠になる。
記事によると、判決確定後に被害証言が嘘だったということを被害者が述べたようだ。
元の刑事判決がどのようなものか、はっきりとはわからないのが、被害者は性交渉がなかったということを認めたのであろう。
もしそうだとすれば、検察としては、上記①についての裏付け証拠としての、被害者の着衣もしくは体内からの精液の採取ができていなかったことになる。
そのような案件が起訴されたとすれば、本当に恐ろしい。
しかも、そのような客観的は証拠のないのに裁判所が有罪の判決をしたということも恐ろしい。
原告弁護士は、「検察が無罪の可能性を検証せずに起訴しても過失はないとする、ひどい判決だ」と述べている。
それは別に間違いはないのだが、しかし、この案件は、それ以前に、そもそも客観的な証拠に基づく証明もできない可能性が高いのに、検察官が起訴したところに過失があるのであり、かつ、裁判所も客観的な証拠が不十分なのにその点を考慮することなく判決したという点を過失として構成した方がよかったのではなかろうか。
最後に訴訟の方針についてコメントしておこう。
原告としては、裁判所も被告に加えた。
その気持ちはわかるが、訴訟のやり方として、果たしてそれでよかったのかという疑問がある。
裁判所としては、検察官だけの過失なら賠償を命じやすい。
しかし、同僚である裁判官の判決に過失があったと認定はなかなか判断しがたいということを考えれば、あえて、裁判所を外して訴訟をするのが現実的な選択ではなかったろうか。

全盲の女性を最後尾の席に ~自治体が行うべき障害者への配慮とは~

 

 

外部リンク:全盲の女性、音楽祭の席「無理やり」最後列案内

 

上記報道によれば、全盲の女性がクラシックコンサート会場で、購入した席とは違う席に座るよう主催者側に移動させられたようである。

おそらく入口で案内を主催者側に依頼したと思われるが、「指定の座席まで歩くのは危ないから最後尾で」という理由で制止されたのだろう。

しかし、平成28年に障害者差別解消法が施行された現在、自治体である名古屋市は少なくとも障害者に対する合理的な配慮を行う義務がある。車いすで案内したという経緯も、おそらく名古屋市が行った合理的配慮の一環なのだろう。

 

しかし、女性が購入した指定席に案内するのではなく最後尾の端の席に案内することは「合理的な配慮」と言えるのだろうか。

法律ができたばかりということもあり、これから議論されていくだろうが、なにが「合理的な配慮」と言えるのかは正直なところはっきりしない。

もちろん、コンサートホールの客席といえば階段状になっているだろうし、転倒の可能性もゼロではない。また、(想像を含むが)最後尾の席の方が火災時などに非常口に案内しやすい、という防災の観点から主催者側が言い訳することも考えられる。

 

しかし、もし防災が理由であればそもそも全盲の方がチケットを買う時点で注意を促さなければならないだろう。チケット購入を認めたのであればその座席で音楽鑑賞する権利がある。当日になって防災を理由に座らせないというのは筋が通らない。

 

名古屋市側には、購入した座席で音楽鑑賞するために必要な「合理的配慮」を行うべきだろう。それこそ、女性をスタッフの肘につかまらせて座席まで案内することも可能だったのではないだろうか。それほど難しい作業ではないように感じるが、人手不足かスタッフの配慮不足か、いったいどこにあったのだろうか。

訴状の内容は不明だが、障害者差別解消法に基づく合理的な配慮義務を怠ったことも慰謝料請求の理由の一つになっているのかもしれない。

今後の裁判の展開が気になるところである。

(弁護士 北野英彦)

 

(弁護士コメント)

大澤:

今回の記事は、障害者に対する合理的配慮の問題ではないように思われる。

全盲の女性は指定席を購入したのだから、その席でクラシックを鑑賞する権利がある。

その権利を全盲だという理由で侵害されたのだから、障害者であることを理由とする悪質な債務不履行の問題だということになる。

 合理的配慮が問題になるとすれば、その全盲の女性がトイレに行きたいと申し出を受けた場面であろう。

主催者側としては、そのトイレの要望を受けて、係の人にトイレまで安全に案内するべきであり、そのような行為をしてもらうことの根拠が合理的配慮ということになる。

今回のケースは、障害者の獲得した指定席での鑑賞させるべき債務を侵害したものであり、債務不履行として慰謝料ものだと判断されるケースではなかろうか。

少し横道にそれるが、昔、大原訴訟という国鉄(現JR)のプラットホームから視力障害者が転落して両足を切断した事件を担当したことがある。

その際、裁判所から、傍聴のため法廷に入る車いすの台数を制限し、車いすの場所まで指定されたことがある。

普通の健常者ならそんな台数(人数)制限も、位置制限をもないのに、車いすというだけするのは《差別》だという障害者からの抗議があがった。

裁判所が位置指定や台数制限を撤回しなかったために、法廷が開催されるときごとに裁判所構内でデモが繰り返された。

あれから約40年が経過しているが、いまだ、差別意識が改善されず、今回のような事件が発生したということだろう。

 

岡井:

 自身が選んだ席で鑑賞できなかったこと、また、当日急にそのような扱いをされたことに問題があることは明らかである。

 ただ、考えなければならないのは、会場側の防災対策である。

災害が起きた際、視覚障害者や車いすの方などが、混乱の中安全に避難できる体制が整っているのか。

特に体制を整えないままでは、また今回のように、自身で選んだ席と別の席に移動させられるという事態が生じかねない。

加えて、障害者といっても、人によってその程度や不得意な場面は違っているのであり、それに合わせた対応をすることも必要になるのではないだろうか。

某テーマパークでも、聴覚障碍者が付き添いの健常者がいないことを理由に入場を拒否されるというニュースがあったが、「障害者が来たらこうする」というようなルール作りではなく、それぞれに合った柔軟な対応ができるくらいの余裕が必要であるように思う。

 

畝岡:

 北野弁護士、大澤弁護士も指摘するとおり、本件で一番問題なのは、チケットは購入できたのに、チケット記載の席に座り鑑賞することができなかったという点であると思われる。

障害者への配慮ということであれば、チケットを購入する時点で購入者の情報の収集や購入者への案内が必要である。現代においてはインターネットでのチケット購入受付も多いので、比較的容易にそのような措置はとれるのではないだろうか。

 

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