大澤龍司法律事務所 相続問題無料相談ブログ

裁判所は証拠に従い結論を出す


外部リンク:「胸なめられた」は麻酔覚醒時の性的幻覚か 男性医師に無罪判決


本件事件において真実はどうか、裁判所の判決は正しいのか様々な意見があるように思う。
もっとも、裁判所も神ではなく100%真実に合致する判決を下すことはできない。あくまでも「証拠」から事実を認定し判決を下すのである。本件はこのことを如実に表すのではないか。
刑事裁判は、被告人が100%無実であることを証明する場ではない。有罪とするには、被告人が犯行を行った犯人であると、「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証」を検察側が立証しなければならない。

本件に関する争点の一つとして「胸に付着していた唾液の鑑定の信用性」が挙げられている。
本件に関する別の記事を見たところ、DNAに関しては、本件ではDNA型よりその量が問題になっているようである。
ただしその数値は、鑑定を行った科捜研の研究員が作業の過程をメモしたワークシートに書かれているだけで、DNA鑑定の際の増幅曲線や検量線などのデータは廃棄されており、確認ができない。しかも、ワークシートは(通常は書き換えのできないボールペンで記載するものであるが)鉛筆で記載され、少なくとも9カ所、消しゴムで消して書き換えた形跡があったとのことである。また、鑑定で使用したのはガーゼから抽出したDNA抽出液の一部であり、その残りが保存されていれば、再鑑定も可能だったが、研究員は残液を「2016年の年末の大掃除の時に廃棄した」と証言していると。

破棄したというのは明らかにずさんであるといえるし、このような(客観的な)証拠の状況に頼って、男性側の犯行が証明可能と考えた捜査機関側にも疑問を感じる。
捜査機関側の進め方はさておき、このような証拠の状況であったのであれば本件の判決は妥当であると思われる。

ちなみに、本件においても無罪とされた男性医師は逮捕された時、マスコミに顔と名前等を報道されたようである。日本では当たり前のように被疑者・被告人段階で犯罪者のように氏名等を報道される。以前外国人と話をしたときに、欧米諸国から見れば珍しいという話を聞いた。仮に、男性医師が本当に何もしていないということであればたとえ無罪判決が確定したとしてもその不利益は甚だしいものであり、氏名等を報道するあり方にも疑問を感じるものである。
(弁護士 畝岡遼太郎)


(弁護士コメント)
北野:
今回のDNA鑑定だが、おそらく捜査機関が最初に証拠となった唾液を鑑定したはずである。ただ、DNA鑑定といえども人間の仕事であり、ミスや間違いもありうる。そこで被告人や弁護人にも反対鑑定のチャンスを与え、その上で間違いないかどうかをチェックするのが公正な裁判だといわれる。
なぜ被告人の反対鑑定のような面倒なことが必要なのだろうか。
それは、裁判というのは、万が一間違いがあれば無罪の人間を刑務所に放り込んでしまう結果になるからである。
 畝岡弁護士のコメントによれば、DNA鑑定を行った研究機関の職員にずさんな証拠管理があったようで、反対鑑定のチャンスを被告人側に与えなかったことが指摘されたようだ。
 人を罪に問う立場の仕事にとって、このようなずさんな管理はあってはならない。仮に証拠が正しかったとしても、疑わしい証拠になってしまえばそれまで真剣に犯罪捜査に関わってきた他の捜査員の努力を無にするだけではなく、なにより被害者が報われない。
 そんな疑わしい証拠だからこそ裁判所は信用しなかったのではないだろうか。被害者が強く被害を訴えている中、よく裁判所は踏みとどまったと思う。
 もちろん私は全証拠を見たわけではないし、真実は神のみぞ知る、である。ただ、真実を見つけるために用意された適正手続をガンコに守ることも真実を見落とさないために必要なことだと思う。

「最後のご縁」-相続財産管理人という仕事


外部リンク:孤独死、身元不明、高額財産…相続財産管理人の現場


相続財産管理人という仕事がある。
法定相続人がおらず、また遺言もないため、残された財産の引き取り手がない場合に、その財産の管理や清算をする仕事である。

記事で紹介されている事例を見ると、様々な人生があるなと感じる。
相続財産管理人というのは、故人の人生を知り、この世に残していったものを綺麗に整理してあげる仕事なのかもしれない。

身寄りのない方が財産を残して亡くなり、相続人や特別縁故者を探す、というのは、相続財産管理人の仕事としては一般的なものであると思われるが、記事によると、亡くなった方がどこの誰なのか、調査をしてもわからないというケースや、遺品の一部が研究材料になるために、記録保存するべきケースなどもあるとのことである。
このようなケースを見ると、「相続人を探して、見つからなかったら国庫に」という単純な話ではなく、相続財産管理人には、ケースに応じた対応が必要とされるのだということがよくわかる。
また、事例としては一般的なケースであっても、残された遺品から、生前の故人の生き方を想像し、できる限り個人の意思を尊重した遺品整理になるよう配慮することが、相続財産管理人の仕事には求められるのだろう。

時代はどんどん変わっていて、今後は、結婚をして子供が産まれて…というのがポピュラーではない時代が来る可能性がある。
記事では、2017年の選任数も2万件を突破したとの記載があり、年間に2万件も相続財産管理人が必要となるケースがあるのかと驚いたが、今後はこの何倍にもなることが予想される。
将来に備える意味でも、弁護士としては、相続財産管理人の実務について、もっと学んでおく必要がある。
また、それだけではなく、故人の意思を尊重した柔軟な対応ができるよう、自身の人生経験やスキルアップも図っておかなければならないだろう。
(弁護士 岡井理紗)

(弁護士コメント)
北野:
 弁護士でも、相続財産管理人という仕事にはそうそう関わらない。
 相続財産管理人というは記事にもあるとおり相続人がいない場合に登場するのだが、戸籍を調べていけば大抵の方は(遠縁であっても)相続人が見つかるからである。
 相続人がいることがわかれば、あとは住所や連絡先を調べて手紙を送り、遺産分割協議をしたいという意向を伝えて話し合いをすればよい、と思われるかも知れない。
ところが、戸籍等書類の上で相続人が判明しても、数十年にわたって年賀状のやりとりさえなく連絡を取っていなかった遠い親戚の住所地や連絡先電話番号を調べるのは至難の業である。
たとえば、亡くなった父親の通帳の隠し場所を探すだけでも結構大変な作業だというのはみなさんも想像つくと思う。しかし、相続財産管理人は、誰も家族がいないところで仕事をスタートするため、全くヒントがなく一からその人の財産を調査することになる。
これはとんでもなく大変な作業だろう。
 しかし、誰かが整理をしなければ、この人の財産は永遠に埋もれたままになってしまい、空き家を整理することも土地を誰かが使うこともできない。その意味で、孤独死やお一人さまなど家族関係が多種多様になる現在では、日本という国の資源の多くが埋もれていってしまう事態になりかねない。
 当職は先日、大阪弁護士会館で行われた相続財産管理人に関する研修を受講してきた。
 当職の印象では200名近くの弁護士が受講していたように思うが、これから増えていく相続人不在という事態にも対応できるよう当職も研鑽を心がけたい。

大澤:
相続財産管理人の仕事は大きくは2つに分かれる。
一つは遺産内容の確認であり、もう一つは相続人探しである。
遺産内容の確認としては、預貯金通帳から始まる遺産探しであり、弁護士が得意の分野だ。
相続人探しも住民票から始まり、戸籍や除籍謄本を取り寄せするものであり、弁護士が日常的に行っていることだ。
いずれも技術的なもので、個人の生前に思いを寄せるというような場面は少ない。
もちろん、死亡された方の家に入り、財産などを調査するから、生前の姿を垣間見ることもないわけではないが。
人と人とのつながりが薄れた現在の状況から言えば、相続財産管理人が増加するのはやむを得ない。
しかし、もし可能であれば、自分の財産がどこに行くかぐらいは自分で決めればいいのにとは思うし、法的に言えば遺言書などを書いておくべきだということになる。
ただ、一番思うのは、それ以前の問題として、血縁でなくとも、何らかの人間関係を築いて、老後の生活を少しでも楽しくする工夫が必要なのではなかろうか?
弁護士の仕事ではないかもしれないが、少しは、何らかの役に立ちたいなとは思っている。
最近、同年齢かやや年上の方(どういうわけか、すべてが女性だけれど)に、私が掲載したブログ記事を印刷して、郵送している。
もらった人が喜んでいるのかどうかわからないが、気にかけていますよというシグナルだ。
手紙というより、印刷物の郵送だが、それでも少しでも元気で長生きの役に立つかもしれないと思って、現在、頑張ってブログを書いている。

 

侵入者取り違え、弁護士が刺殺された事件で遺族逆転勝訴

外部リンク:警官が侵入者取り違え、弁護士刺殺 県に賠償命じる判決

外部リンク:弁護士刺殺「警察が失態重ねる」 遺族、逆転勝訴の判決

被害者が我々と同じく弁護士だから、というわけではないが、今回はこの記事についてコメントしたいと思う。
 まず、現場にいた警察官の対応はどうか。
 私は警察官の訓練は受けていないが、たしかに突発的な状況下で拳銃を持っていた人を見たら、とりあえずそちらを取り押さえようと思ったのかもしれない。
 しかし、当然被害者(弁護士)と侵入者の男はもみ合っており、拳銃を取り上げた可能性もある。また、侵入者の男が刃物を隠し持っていたとしても、二人はもみ合っていた相手同士なら、双方がなんらかの凶器を持っており、警戒を持って対処すべき状況だったのではないだろうか。
その意味で、ぱっと見で「拳銃を持っている人物=侵入者」と断定して拘束するのは軽率な判断というべきだろう。一般人の感覚でプロの警察官レベルに求めるのはこういう対応だろう。

次に、以前に地方裁判所が第一審判決を出した記事を漠然と思い出してみた。
たしか秋田県では凶悪事件が少ないので訓練が不十分で、責任を問えないという判決理由があったと思う。
ほとんど活躍の機会のない凶悪事件の訓練をするより、他の業務に税金や時間を使わざるをえない、ということかもしれないが、犯罪の抑止は警察の本分だと思う。税金や時間の配分を考えるとしても、本分をしっかり確保した上でやるべきことである。
凶悪事件が少ない地域だから訓練に力を入れなくともよい、というものではないと私は思うし、そのような判決ではあまりに世間の感覚とかけ離れており、世間も納得しないように思う。
 
 警察の対応の改善を求めたいことは当然として、裁判所にも世間を十分に納得させられる判決を求めたいと思う。
(弁護士 北野英彦)

(弁護士コメント)

(大澤)
北野弁護士も書いているが、今回の事件、私たちにとっても他人事ではない。
弁護士は紛争の一方の当事者の立場だから、当然、相手方から憎まれる場合もある。
殺人事件で刑が確定し、服役中が原告として起こした損害賠償請求事件で、被告側の代理人をしたことがある。
その原告が起こした訴訟は約13年間で約14件であった。
全て私たちの方が勝訴したが、当方が勝てば勝つだけ、相手方の被告に対する憎しみは増え、代理人である私に対してもその矛先はむく。
原告は被告に対して脅迫状を出していたが、その代理人に対しても危害を加えるとの内容が記載されていた。
約20年近くの服役の後に原告が出所した。
当時、私は、電車に乗るとき、プラットホームの端からかなり離れているようにしていたし、万一、事務所に押し掛けたときにどうするかも考えていた。
さて、今回の事件であるが、まず裁判の概要を説明しておこう。
裁判を起こした死亡した原告(弁護士側:相続人)は加害者だけでなく、警察官が所属していた秋田県警(正確にいうと、県警の所属していた秋田県)を被告の損害賠償請求をした。
原審(第1審)は加害者に金1億円を支払へ、秋田県は支払い義務がないと判断した。
被告のうち、加害者については勝訴して当然だが、その人は無期懲役で服役しているのだから支払能力はない。
そのため、原審としては、秋田県への請求が認められない限り、賠償請求した意味がないということになり、一審は全面敗訴と評価してもいい内容だった。
原告が控訴するのは当然であろう。
さて、原審の判断であるが、次の点で問題がある。
原審は《警察官が津谷さんを侵入者と認識したことについて「当時の状況に照らすと不合理ではなく、非難できない」》ので、警察官の過失はなく、秋田県には賠償責任はないという結論であった。
しかし、警察官としては、まず、双方を引き離す、接触させないという対応が一番必要なことであり、もみ合い状態にある2人の間に距離をとって、接触させないというのが警察官のすべきことであろう。
《喧嘩に割って入る》という表現があるが、これは2人を離して、接触させないということであり、喧嘩の際の対応を一言で表したものである。
拳銃を持っていたからと言って、それを加害者と判断する前に、まず隔離するという必要不可欠な対応を欠いておれば、警察官に過失があったとの認定をすべきであったろう。
ましてや、本件では加害者は刃物を持っていたといのであれば、警察官は包丁を見逃したのかという非難もあろう。
もちろん、争っている2人が、一方は拳銃を持ち、一方は包丁を持つということであれば、極めて異常な事態であり、警察官にとっても日常あり得ないケースであったかもしれない。
しかし、そのようなときにも、冷静に判断することを警察官は期待されているのであり、それを実行しなければならない立場であった。
しかるにその2人の間に距離を置くという基本的なことが実行されていなかったというのであれば、やはり警察官側の過失があったという認定は免れない。
細かな事実はわからないのだが、新聞報道での事実を前提にする限り、高裁の判断は妥当だというべきだろう

(岡井)
110番通報で状況をある程度聞いて臨場したのなら、まずは2人を引き離すことが先決だったのではないだろうか。
たしかに、拳銃を持っている方を侵入者だと、一瞬誤解して、拳銃を持っている方を取り押さえてしまったこと自体は、仕方のないことかもしれない。
しかし、どちらが弁護士でどちらが侵入者か、状況を完全に把握するまでは、もう一方を自由に動き回れる状態にしておくのは得策ではないであろう。
状況から見れば、もみ合っているうちに拳銃を取り上げていたという事態は想定できるのであるから、2人を引き離さずに最悪の結果が生じてしまえば、警察官の対応に過失があったと言わざるを得ないだろう。
裁判所は身内(国側)に甘いという印象があるが、今回の仙台高裁秋田支部が県にも賠償責任を認めたことは、妥当な判決だといえるのではないか。

(畝岡)
秋田県警の「組織としての」の対応としては、このような状況で2名のみが現場に駆け付けるということでは足りなかったのではないか。この度の判決でも、記事によれば「警察官が現場に着いた時に菅原受刑者は凶器を持っておらず、警察官が尋ねれば誰が侵入者か理解でき、菅原受刑者を制圧、逮捕できたと指摘。制圧できなくて文字色も、津谷さんと妻の良子さん(61)を避難させるのは困難でなかった」などと現場にいた警官個人の対応に焦点が当てられているように思う。
いずれにせよ、裁判所は、警察とは独立した機関である以上、北野弁護士のいうとおり、判決の主文(結果)は当然であるが、判決理由についても国民や遺族を納得させる内容を示すことが求められる。

人が住む「家」というものをどのように考えているのであろうか

外部リンク:レオパレス21、1324棟で施工不良=7700人に退去要請-建築基準法違反疑い

私はレオパレスの家に住んだことはないが、インターネットなどでは以前から壁が薄く隣の部屋の音がよく聞こえるなどと言われていた。
しかし、記事の内容については驚いた。
また、数件の話ではなく、この規模であるならレオパレス側もわざとやっていたのは間違いないのではないか。また、レオパレス側がわざとやっていたとして、行政の確認・審査はどうなっていたのであろうか。
原因についての情報は少ないが、他の記事によれば、「原因については、工期を短くすることや、現場の作業員が使用する材料を誤解していたことなどを挙げた。」とある。工期を短くするためにわざとこのようなことを長期にわたって行っていたのであれば非常に悪質であるし、後半の理由は論外である。
融資を受けている不動産オーナーや、急に引っ越しを余儀なくされる住人には損害が発生するであろうが、レオパレスの経営が破綻する可能性が相当あるなかで、彼らの損害にレオパレスは何か対応できるのであろうか(資力がないものから支払いを受けることはたとえ弁護士が介入しても困難である。)。
このようなことを行ったレオパレス側や、審査・確認を怠った機関など、不動産業界全体の不信感にもつながりかねないと思う。

幸い大規模な火災が発生して判明したというわけではなかったが、違う意味で炎上することは必至であろう。
(弁護士 畝岡遼太郎)

(弁護士コメント)
大澤:
まぁ、出てくる、出てくる・・
本当に嫌になるくらい出てくる。
建設談合や自動車、鉄鋼、耐震ゴムの品質や検査偽装、それと大きいところでは官僚の大嘘。
これが日本の実情と思うと悲しくなる。
美しい国はどこに行ったのか。
しかし、元官僚の柳瀬とかいう人物、散々、嘘をついた挙句、NTTだったか、大手大企業の役員とかになって、金をもらえるようになる。
安部さん、口をきいてあげたのかなぁ。
さて、今回の記事だが、これだけの件数があるのなら、当然、経営陣は百も承知だったろう。
この会社が存続するためには、欠陥建築を作り続けるしかなかったのだろうか。
畝岡弁護士もいうように、この件数の多さから言えば、破産という事態も想定されるのではないか。
破産となれば、欠陥建築を買わされた人には気の毒ではある。
しかし、《嘘をつけば必ず会社はつぶれる》、いや《嘘をついた会社はつぶされる》というところまでいかないと、この風潮はなおらない。
経営陣としては、業績を上げたいと考え、工事費の削減を考えていたのかもしれない。
しかし、業績の前に、ちゃんとした欠陥のない合法的な住宅を提供するのが企業の使命ではないか。
品質は確保したうえで、業績争いをする、それができないのであれば、市場から撤退させられるという厳しい結果がある、それなくして不正を防止できる手段は存在しないのではないか。

岡井:
レオパレスというと、家具家電付きで週単位で借りられ、短期間部屋を借りたい事情があるときに重宝するというイメージがあった。
司法試験に合格すると、司法修習生となって各地で研修をするのだが、埼玉県和光市で2か月ほど研修をする際に、和光駅の近くのレオパレスを借りている友人もいた。
そのくらい身近な存在であっただけに、ここまで施工不良を繰り返していたことには、まさか、との思いであった。
ただ、インターネットを見ると、実際に借りたことのある人は皆、壁が薄い等の問題を感じていたようだ。
畝岡弁護士、大澤弁護士も述べているように、ここまでの件数となると、組織ぐるみで、費用削減のために行っていたことは明らかであり、地震等の天災で危険が生じていたかもしれないとなると、会社として、どういうつもりでやってきたのか、かなり腹立たしい。
各会社には、数々の偽装問題から、人を欺いて会社を成り立たせる商売は破綻するということを学んでほしいものである。

医者の健康・労働環境も考えた案を―残業上限2000時間案を受けて―

外部リンク:「医師は死ねと?」 炎上した残業上限2000時間案が出てきた舞台裏


多くの医者が、過労死ラインを超えて働いている現状がある。
弁護士とは違って、医者は基本的に、診療を求めてきた患者を拒むことができない。
このことは医師法に定められており、人の生死にかかわる職業である以上は、当然ともいえる。

しかし、だからといって、医者は他の職業よりも無理をしなければならない、残業を強いられなければならないということにはならない。
医者も人間なのだから、無理をすれば体調を崩すし、労働環境が悪ければ精神的に不安定にもなるのは当たり前である。
医者が厳しい労働環境下に置かれれば、今よりさらに医者が減り、結局困るのは患者側ということにもなる。

記事によると、厚生労働省の「医師の働き方改革に関する検討会」が、地域医療を守る病院などに対する特例として、時間外労働の上限を1900~2000時間とする案を提示したとのことである。
月に直せば160時間程度、一般労働者の過労死ライン(960時間)の2倍以上であるといえば、その異常さは明らかであろう。
一部の病院に対してだけ適用される特例であるとはいえ、この上限時間を当然のように提示したことについては、驚きしかない。

たしかに、現状の世の中では、36協定(法定労働時間を超えて働く場合に労働側と使用者側で締結する協定)すら締結されずに、長時間の労働を強いられてきた医者が多く、また、労務管理をしていなかった病院が多いことも事実であろう。
上限を定めることによって、それは改善されるかもしれない。
しかし、36協定が締結されようと、労務管理が徹底されようと、上限1900~2000時間という残業が認められてしまう(違法とならない)状態では、医者の負担は非常に大きいままである。

現状から急に残業上限を下げても、現場は回っていかないというのはその通りかもしれない。
ただ、そこで医者だけが負担を被るという手段をとっては何も解決しない。
人手不足の現場に医者を多く配置できるような体制作りや医者でなければできない仕事とそうでない仕事をきちんと分けるなど、先に考えなければならないことはたくさんある。
一部の病院に限った話だから、とか、目標は960時間であることに変わりないから、などといって話を終わらせず、本当に医者たちの労働環境を守れる案になるよう、検討を重ねてほしいものである。
(弁護士 岡井理紗)


(弁護士コメント)
北野:
医師や看護師の方の中には、夜勤からそのまま翌日も勤務し、連続で20時間前後の勤務をしているという話を聞くことがある。
聞くと「慣れれば大丈夫」と答えるが、心配させないように気を遣っているのかもしれない。
我々一般人は、そんな激務をこなす医師や看護師の方の診察や看護を受けて生きている。
万が一、眠気や疲れで飲ませる薬を間違えたり、診断ミスがあったりしないかと心配になる。私が先日診察を受けた病院で医療ミスは起きてないだろうか。そう考えると他人事ではない。
そんな折、「医師は他の業種より長時間働くべきだ」と言いたげな政策が出てきた。記事によれば目標はあくまで960時間と紹介されているが、人手不足の厳しい現場では「2000時間までは処罰されない」という発想が先に浮かんでしまうのではないだろうか。
もちろん、医師がしっかりと休養すれば今度は患者が困るのかも知れない。そのため、岡井弁護士が述べる通り、医師が行うべき作業や役割分担の見直しなど、目の前のスタッフでできる効率化を考えていかなければならない。
とりあえず私たちにできることは、日頃から体調を崩さないよう生活を正し、医師や看護師の仕事を増やさないよう努力することだろうか。
本当に医療が必要な人のために。

畝岡:
厚生労働省の提示する時間外労働の上限は1900~2000時間であり、これは、一般労働者の過労「死」ライン(960時間)の2倍以上である。
長時間労働が及ぼす人体への悪影響は当然死亡だけではなく、うつ病などの後遺障害を生じさせることもある。また、これらの悪影響の程度は労働時間だけではなく、業務の内容も大きく関係するところ、医師の業務としては人の生命・身体を預かる責任のみならず、緊急性も伴うことがあり非常に負担も大きい。
さらに、過労死基準はあくまでも目安であり、この基準に該当しなくても過労死と認定される事は当然ある。
これらを踏まえると、目標は960時間であるということすら疑問に感じる。
全員ではないとの記載もあるが、もし長時間労働が原因で過労死(またはうつ病等を患うなどの事態)が発生した場合、誰がどのように責任を取るのであろうか。

麻生さん、失言ではないですよね。本音でしょう!

外部リンク:麻生氏、少子高齢化問題で「子ども産まなかった方が問題」

この麻生という人は正直な人だ。
本音を言っている。
真底、そう思っているのだろう。
これまで数々の《失言》をしてきた人だが、全てこの人の基本的な信条から発した言葉であったろう。
で、どうするかだが、野党はこの失言を国会で取り上げるだろう。
マスコミは大々的に批判のキャンペーンをするのだろう。
が、しかし・・・

この国は、今、嘘がまかり通っている。
車や鉄鋼、耐震ゴムの品質や検査偽装がある。
公務員の文書改ざん、障害者雇用数の虚偽、今は厚労省のデータ改ざん、本当に目もあてられない状況だ。
そういえば森友学園や加計学園のとき、《事実を徹底解明》といったのはこの国のトップの人ではなかったか。
これらの人のことを考えれば、麻生という人、本当に嘘をつかずに正直に言っているではないか。

国会では立憲民主党などの野党は、この発言の責任追及をするだろう。
それが悪いわけではないが、無駄な時間を費やすだけではないか。
《蛙の面になんとか》ということわざがあるではないか。
野党や、発言謝罪は主題ではないし、責任追及や辞任要求は何の役にも立たない。
いつもどおり、謝ればいいのだから。

私は飽き飽きしている。
責任追及というなら、私はむしろ野党に責任追及をしたい。
記事の末尾には子供を産めない事情がある人もいるという。
野党は目を見開いて、ここを見よ。
どうすれば、そのような事情を変更できるのか。
具体的かつ実現可能な解決策を政策として提案してくれ。
もちろん、国会では否決されるだろう。
それでもその策が真に解決の方向を見据えたものであるなら
《お、やるじゃないか》と評価する人もでてくるのではないか。
新聞が取り上げてくれないならネットという手もあるぞ。

麻生という人の批判をするとおもいきや、野党にとばっちりが及んでいる。
しかし、野党の人たちや、怒ってはいけない、これは激励である。
しっかりしないと、この国の民主主義、どこかにいってしまうぞ。
次回の選挙、与党が票を減らして野党が議席を増やす、その次は与党が票を増やすという競り合い。
そのような緊張感のある政治情勢でないと、いつまでたっても麻生という人は、言いたい放題を続け、謝罪して《はい、終わり》になる。
そんなことをしていては、政治は一向に良くはならない。
私は年寄りだけど、今、この国の将来を本当に心配しているぞ。
(弁護士 大澤龍司)

(弁護士コメント)
北野:
この人の発言はよく騒動を巻き起こす。
今回の発言もどこか差別的で、生産性がないことを私は感じる。
弱い人のことをなにも考えていない政治家のように思ってしまう。
 
別に手を抜いて子どもを産まないわけではない。
子どもが欲しい人はたくさんいる。
子どもを産みにくい(あるいは育てにくい)状況があるだけである。
日本国民はみな必死に生きている。その結果少子高齢化になってきているのであって、それを責めたところでなにも変わらない。
 
政治家の皆さんには「産まないこと」を責める前に、それこそ少子化対策の切り札を「生み出す」発言で話題になって欲しい。

畝岡:
大澤弁護士の記載に全面的に同意である。このような政治家の問題は度々起こるが、批判が集中したり、釈明・謝罪があったとして今まで何か変わったことはあったのであろうか。
もちろん、このような発言があったことも問題であろうが、(今回で言えば子供を産みにくい・育てにくい状況があるという意味で)現在の国内の状況をどう良くするのかということが、真の問題ではなかろうか。
この発言を批判するだけではなく、フランスで行われた出生率を高めるための様々な政策を参考にするなどして、日本の政治をより良くする方向に働いてほしいものである。

岡井:
麻生氏はこれまでにも様々な問題発言をしているが、今回は、「子供を産まなかった方が問題」という失言をしたようだ。
 北野弁護士のコメントにもあるが、この世の中は子供を産みやすい、子供を育てやすい世の中だといえるのだろうか。
 子供ができない夫婦には、不妊治療に莫大な費用がかかると聞く。
 しかし、その費用の多くについては国からの援助はなく、夫婦が自腹で支払っているのが現状である。
また、子供を産んだら産んだで、子供を育てるのにもお金はかかる。
その上、やや改善してきているものの、まだまだ女性にとって働きやすい世の中であるとはいえず、特に子育て中の女性がライフワークバランスを保ちながら働くことについては、十分な配慮がなされていない職場が多々ある。
このような現状の中、麻生氏ら与党は、何年も政権を担いながら、画期的な政策を打ち出すこともせずにこれまでやってきた(もちろん、野党も野党で何もしないから、政権も変わらない)。
自身のするべきこともせずにこのような発言とは、無責任としかいいようがない。

なぜ役所は動けなかったのか・・・あえて役所の視線で想像してみる

(外部リンク)千葉小4虐待死:DV相談、糸満市は女児から聴取せず 専門家「必要だった」

今回も非常に悲しい事件である。
子どもの虐待死が疑われる事件で、自治体が相談を受けていながら子ども本人の事情聴取を行っていなかった、という経過があったそうだ。
 役所が虐待の可能性について相談を受ければすぐ動くべき、というのが一般市民の感覚だろうと思うし、私もそうあるべきだと思う。
 しかし、問題は「子どもからの事情聴き取りが必要だった」かどうかではない。
なぜ役所は動けなかったのか?その理由を考えないと次には進めない。
 そこでいくつか理由を想像してみた。
 
 ①10歳の子どもの話を聞いても仕方ないと思っていた
 ②父親の虐待について確かな証拠がなかったので動けなかった
 ③そもそも母親の相談について役所内の引継ぎができていなかった

などなど。

③(引継ぎ不足)は論外の理由だが、①(子どもの話)や②(証拠がない)というのは役所も困る話だろう。
 たとえば②(証拠がない)だと、今のご時世、確たる証拠もなしに虐待を疑い子どもを呼び出せば、それを知った父親からどんなクレームを受けるか分からない。なにせ暴行や傷害にあたる疑いをかけるのだから慎重にならざるを得ない。
たとえ子どもの体にあざやケガを見つけたとしても、「遊んで転んだかもしれない」といわれれば見分けるのは難しいケースもあるだろう。
 次に①(子どもの話)も、たしかに見知らぬ大人の前でうまく話ができない子もいるだろうし、母親の都合のいい話だけをする子どももいる。(極端な例ではあるが)先日のブログでも取り上げたように、母親が子どもに嘘をつかせるケースもある。
 役所としても非常に難しい問題を抱えていることは間違いない。
 
しかし、こんなことを言ってばかりでは子どもを虐待から守れない。
 難しくとも動ける役所を作っていく必要がある。
 「役所は法律がないことを勝手にするな」というルールがある。
いわゆる法治主義というやつである。
法律がすぐに変わればよいが、どんなよい法律であっても、法改正は時間も手間もかかるし、反対の意見も当然ある。現場では、現在の法制度の中で権限を使いやすくする工夫が必要だろう。
あるいは、交渉の専門家である弁護士が、役所の担当者に対して虐待事案でどう動けばクレームを受けにくい方法で調査を進めることができるのかをコーチングする、あるいは現場の難しさを意見交換する中でうまく調査を進めるやりかたを話し合っていく方法も考えられる。役所の担当者も、うまい動き方が分かれば調査が進むのかも知れない。
課題は多いが、以前から時折聞くこの問題を早く解決できるよう願うばかりである。
(弁護士 北野英彦)

(弁護士コメント)
大澤:
昨日、テレビを見たら、殺された女の子の写真が画面に出てきた。
何回も画面でみているのだが、その度にギョッとする。
これまでにも同様の事件があったが、今回は、その子がいじめられている、暴力を受けているということを周囲に何度も伝えていたという。
少し前に、《いい子になるから許してください》というメモをして殺された子もかわいそうであったが、今回は特に《助けて!》と言っていたのに、とかわいそうでしょうがない。
さて、北野弁護士が、あえて役所の視点で考えてコメントしている。
同様に役所の方を見ながら、問題点を考えてみる。
児童虐待件数のグラフを見ると、右肩上がりで件数が急上昇している。
ところが児童相談所の職員は増加しているのだろうか。
現在、職員1人当たり50件の案件を抱えているという。
それでは十分なケアができないのではないか。
多くが、しんどさ、つらさにさいなまれ、案件が持ち込まれるたびにパニック状態になっており、現場は疲弊しきっているが実情ではないのか。
早急に職員を増員する必要があるのではないか。
次に児童相談所の担当職員は虐待問題に対処するに足る十分な資質をもっているのだろうか。
子供の心理をわかる知識や経験も必要不可欠だが、加えて親に対する説得力、物理的な力に対する体力、決断力や、そして何よりも子供を助けたいという熱意が職員に必要不可欠ではなかろうか。
そのような虐待を防止したいと思い、かつそれができる人を一人でも多く採用して、現場の人員を増員するという、それが最も急務ではなかろうか。
また、虐待された子を隔離するためには、受け入れ先が必要だろう。
施設だけではなく、ボランティアで虐待された児童を受け入れる家庭を募集することも必要だろう。
警察からかなりの人数を相談所に出向させることも考慮に値するのではないか。
そして良い人間を集めるための給料をアップするなどの待遇改善も必要不可欠だろう。
しかるにこれまでどれほどの現実的な施策がなされてきたのであろうか。
この国は一体、何をしてきたのか、これから何をしてくれるのか。
弱い者、困った者にもっと目を向けてはどうか、その努力が足りないのではなかろうか。
かわいそうと言っているだけでは、まだまだ、同じようなことを繰り返すだけだろう。
これからも、テレビを見る度にギョとするような出来事が続きそうで何とも悲しい。
最後に弁護士としてなにかできないかと考えた。
弁護士は誰かの依頼がないと動けない。
今回のケースは、母親もDVを受けていたようである。
もし、DVを受けている母親が安心して弁護士に相談できるようなシステム(あるいはそれと連携するボランティア団体などでもよい)があれば、弁護士が登場することができたであろう。
母親の話を聞けば、弁護士としてはまず間違いなく、子供のことも話題にするはずであり、子供の救済の糸口が開かれたのではなかろうか。
具体的に言えば、母親から依頼を受けた弁護士は、児童相談所や警察などに保護や訪問をするように働きかけをし、また、裁判所に人身保護請求をするなどの可能な手段で子供を確保し、安全な退避場所へ行ける手助けができたのではなかろうか。

(岡井)
本当に痛ましい事件である。
親から虐待を受けて、助けを求めても届かずに亡くなった子供の絶望感を考えると、胸が張り裂けそうな思いである。

北野弁護士の書いている、役所の側で見た問題点は、そのとおりかもしれない。
一般的な事件では、あいまいな証言以外に証拠がなければ、何も動けないというのは事実である。
しかし、こと子供の虐待、特に親からの虐待の事案については、介入しすぎくらいでちょうどいいのではないか、と個人的には感じてしまう。
子供の世界は、思っているより狭い。
親から虐待を受ければ、相談できる大人は学校の先生くらいしかいないという子供は少なくないのではないかと思う。

では、どのようにして介入するのか。
今、介入していける体制が整っているのか。
それがこの問題の一番難しいところである。
大澤弁護士の言う、圧倒的な人手不足という問題もあるだろうし、「こういうSOSがあったらこう動く」というようなマニュアルがないことも問題であるように思う。
マニュアルというと、柔軟性がなさそうで聞こえが悪いが、人手がなく忙しい中では、ある程度の決まりがないと、現場の職員としては動きにくいのではないだろうか。

それから、弁護士としては、大澤弁護士の言うように、だれかから依頼を受けなければ動けない。
仮に両親から虐待を受けているケースや、虐待をしている親にもう片方の親が逆らえず、弁護士への依頼が期待できないケースでも、たとえば学校や市町村、児童相談所の側の弁護士が働きかけ、警察等とも連携して、虐待をする親から子供を遠ざけることはできなかったのだろうか。
何かできることはなかったのかとの思いが募る、とても悲しい事件である。

(畝岡)
本件がとても痛ましい事件であることは間違いない。大澤弁護士も言うように、少し前に、《いい子になるから許してください》というメモをして殺された子もおり、近時はこのような事件が続いている。発生してしまったことに悲痛な思いがあるが、悲痛に感じる以上に今後、このようなことが起きないように対策を講じることが必要である。
私も弁護士目線で書かせていただくと、上記のとおり弁護士は誰かの依頼を受けなければ動けない。また、一般市民の感覚として弁護士に相談することは非常にハードルが高いと感じられているように思う。ましてや、子供にそのような発想はないであろう。
そうであるなら、(ここが非常に困難なのであるが)学校や市町村、児童相談所が弁護士と連携し、身近に弁護士に相談できるような仕組みを整えるべきではないだろうか。
本件においても、弁護士が早期に介入していれば、少なくともこのような結果になることはなかったはずである。

大澤龍司法律事務所

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