大澤龍司法律事務所 相続問題無料相談ブログ

墓(大伴皇女)の前の階段に座り、夕暮れの二上山を見る。風は強く、木々がこすれ合って悲鳴をあげていた。~再度忍坂を歩く(2019.3.13)⑤

粟原寺跡から忍坂の町並みに来たときにはもう太陽が沈みかかっていた。
大伴皇女の墓に寄っていこうか、どうしようかと迷った。
が、《やはり行こう》と思った。
夕暮れの二上山がどのように見えるか知りたかったから。
坂道と墓前の階段を駆け上り、上にたどり着いた時には、まだ、太陽は沈み切ってはいなかった。
墓を背にして、階段に腰かけて西の空を見た。
夕暮れの空に遠く、二条山の雄岳と雌岳が黒々と見えている。
ここから見ると山容はややいびつである。
15分ほど、見つめていただろうか。
風が強くなり、木々がこすれ合って、まるで悲鳴をあげているかのようだ。
もう日が沈む。
寒くもなってきた。
暗くなる前に山を下りよう。



真ん中の上側の2つのこぶの山が二上山。
右が雄岳、左のやや低いのが雌岳。
沈みかかっている夕陽が写真の真ん中の樹木群だけを照らしている。




太陽は沈み
夕暮れの山の上に小さい雲が2つ。

寺の建物の礎石だけが残っている寂しいこの土地が、果たして額田王の終焉の地だったのか? ~再度忍坂を歩く(2019.3.13)③

粟田川沿いに上流へ30分ほど歩いただろうか。
《粟原寺(おおはらじ)跡》の看板があり、そこで川から離れて坂を上がって行く。
途中に《忍坂伝承地道》との細長い石標があった。
行きついた寺跡には、昔には三重塔と金堂などがあったという。
今はこれらの礎石であろうか、土に埋もれた大きな岩が20数個あるのみだ。
うちの一つは割れてはいるが丸い円形のくぼみがあり、これが三重塔の心柱を支えた岩かもしれない。

この三重塔の伏鉢(リンク:談山神社:文化財・社宝について)が現存しており、藤原鎌足を祭っている談山神社(リンク:談山神社について)に置かれている。
国宝となっているようだが、この寺の建立のいきさつが次のように刻まれているという。
《中臣大島が草壁皇子のため発願し、比売朝臣額田(ひめあそんぬかた)が持統天皇8年(694年)から造営を始め、和銅8年(715年)に完成した》
この《比売朝臣額田》が額田王だと云われている。

持統天皇は天武天皇の妃である。
額田王は、天武天皇と同時代の人物であり、同天皇が即位する前の大海人皇子(おおあまのおうじ)と言われていた時代に同皇子の子を産んでいる。
草壁皇子は持統天皇の子であったが、若くして死亡した。
その冥福を祈るためにこの寺が建てられ、額田王がその造営の責任者であったということなのだろうか。

天武天皇の生まれたのは631年頃らしいというが、仮に額田王が10歳の年下だとすると、造営を始めた頃には彼女は50歳を超えており、完成の頃は実に70歳を超えていたことになる。
造営の責任者ではあっても、果たして現地にどれほど来たであろうか。
ましてやここで死んだなどということがあったであろうか。

《ここが額田王の終焉の地》という伝承もあるようだが、現地に建てられた説明板には、これは《史的考証》ではなく、《詩的確信》であると書かれていた。
なるほど、うまく言ったものだ。
この樹木に囲まれた狭くて陰気な場所が、あの初々しくて弾むような心を詠った女性の最後の地であったとは。
《詩的》表現をすれば、それが真実かどうかは、現在に永らえた礎石だけが知っているということになるであろうか。




粟原寺跡の状況





三重塔の心柱の礎石と思われる岩

ヤマトタケルが死ぬ前に詠った《うるわし》の土地はここではないか? ~再度忍坂を歩く(2019.3.13)②

忍坂古道を歩き、国道を横切ると右下に川が見える。
これは粟原(おおはら)川でそこを上流に向かって歩く。
右手側には、川を挟んで畑が広がり、その向こうに小さな山が幾重にも重なって見える。
後方はるかには、高い山並みが連なる。
この景色を見ていると心の中から浮かんできたものがある。

《倭(やまと)は国のまほろば たたなづく 青垣
山隠(こも)れる 倭し 美(うるわ)し》
(訳注:やまとは国の中でいちばん良いところである。幾重にもかさなりあった青い垣根のような山々に囲まれたやまとは、ほんとうにうるわしいところである。)

古事記によれば、倭建命(やまとたけるのみこと)が戦さで傷つき、
その命が尽きようとするとき、故郷を想って詠ったものだという。
古人は、この目の前のような風景を思ってこの歌を作り出したのではないか。
それから千数百年を経過した現在、広がる畑、それを潤す川、森、山々を見て、私の心にこの和歌の記憶が呼び起されてくる。
和歌を作った人の思いとそれを今、思い出している私との間には、この景色を媒介として共通する感情が存在するかのようである。
もちろん、私の感情は、この歌の作者の全身からあふれ出すような望郷の思いからみて、はるかに及ばないものではあるけれども。
誠に、目の前に展開するこのパノラマは《倭し 美し》というべきものにピッタリである。


何事につけても《絶景》と言いたがる最近の風潮。
しかし、このような風景こそ心に深く食い入るのではないか。

春だが、まだ冷たい風の中、青空を背景に梅はキリリと咲く ~再度忍坂を歩く(2019.3.13)①

忍坂の道を、鏡王女の墓の方に行かずに、直進する。
町並みの途絶えたところで、畑や山が見えてきた。
前方には小さな山が何段にも折り重なり、その背後に高い山がそびえている。
この日は風が少し強かった。
風を遮る家がなくなると、かなり寒い。
薄いコートを持ってきて良かった。
自動車の頻繁に往来する道路(国道166号線)を渡り、5分ほど、この道路沿いに南に歩いた。
道路脇の畑に紅梅があった。
青空を背景にしてキリリと咲いていた。




寒い風の中で細い枝についた花が咲いている。
頑張っているなとほめてあげたいぐらいだ。

調停成立後に、申立人の残した一言 ~調停でも人情を持って接すると人は理解してくれる

2019年3月18日、枚方市駅近くの料亭《仙亭》で枚方簡裁の調停委員の集まりである《枚方調停協和会》が開催されました。
その際、私の16年間の調停委員の退任に際して感謝状が贈呈されました。
その席上での私の退任スピーチです。
退任する調停委員としての心境と懐かしい事件の思い出について話しております。
ご参照いただければ幸甚です。

※スピーチ内容※
【現在の心境】
大澤です。
この度、16年間にわたり務めてきた調停委員を退任することになりました。
現在の心境は、
《好きでもない子に ラブレターもらい うれしいような悲しいような》
という川柳と同じで、
《調停委員を退任して、うれしいような悲しいような》というのが率直な気持ちです。
弁護士としての仕事に集中できるというのではうれしいですが、反面、調停を成立させて感じるあのなんとも言えない充実感を今後は味わうことができないという一抹の悲しさ、寂しさを感じています。

【先輩調停委員の教え】
さて、私が調停委員になったのは、自分で希望をしたのではなく、弁護士会からの指名でした。
そのため、当初はあまり熱が入りませんでした。
その最初のころの担当でよく記憶している調停事件があります。
一ノ瀬調停委員とペアを組んだ事件ですが、交通事故で双方の言い分が全く違って、自分の有利なことだけを互いにしゃべっているという案件でした。
双方が言いたい放題、そのため、私、癇癪を起しまして、《そこまで互いに自分の主張に固執するのなら、裁判にされたらいいでしょう》と、1回で調停を不調にしました。
後日、一ノ瀬委員からお話がありました。
《大澤先生、あの不調にした交通事件ね、裁判になりましてね》
私は、《そうでしょう。そんなケースです》と答えましたところ、
《ただ、裁判の1回目に司法委員が関与して和解が成立しました》
私は《・・・・・・》
やり方が上手であれば、調停で簡単に解決したでしょうと、やんわりと教えてくれたのだと思います。

【それからは成立を目指して尽力】
私の後輩で調停委員をしている弁護士がおりまして、彼が《調停の成立率を75%とすることを目指して頑張っている》という話をしていたこともあって、その後、できるだけ調停を成立させるという工夫をするようになりました。
そのおかげで、10年ほど前から、全件、調停成立ができるようになりました。
ただ、5年ほど前に、私、《胃がんの手術をしまして)、半年ほど、仕事を休ませていただきました。
その休み明けに担当した調停が2件、相次いで不調となりました。
1件は、相手方が出頭しなかったので、調停にはならなかったのですが、もう1件はどうしてもうまくいかず、不調となりました、
そのとき、調停を成立させるには体力がいるんだということを思う反面、つきも落ちたのかとも考えました。
しかし、幸いにして、その出頭さえしなかった1件を除いて、実質不成立はその1件のみであり、その後も退任まで、すべて担当した調停が成立いたしました。
調停が成立たからと言って、裁判所からもらう金額が増えるわけではないですが、自分の誇りとするところです。

【思い出に残る調停事件・・申立人が裁判所に残した一言】
その中で思い出に残る案件があります。
中川睦彦調停委員と担当した事件ですが、某有名国立大学の工学部を卒業した方が会社を解雇された、それが不当だとして金500万円を請求するという申立てでした。
会社はせいぜい25万円程度しか出せないと頑張り、結局、会社の言い分どおり、解決金25万円で申立人が了解して調停が成立しました。
その申立人が、裁判所の書記官に一言、言って帰ったそうです。
《本当に良い調停委員にあたってよかった》と。
調停委員としては、《金額は低いけれども、あなたの能力と将来を考えると、解雇された会社と訴訟をするのではなく、あなたの能力を活かす会社に転職をされるのがいいです。あなたの今後の生き方にとって、それが最もふさわしいことです》と説得しました。
調停委員としては法的なところではなく、人間として、精一杯の説得をしたことが、彼の心に響いたのでしょう。
この残された一言、本当にうれしかったです。

【今後は一弁護士として調停でお世話になります】
今後は、調停委員としてではなく、一弁護士として、この枚方簡裁に調停申し立てをすることもあろうかと思います。
そのときは、よろしくお願いします。
また、そのようなことになったとき、心密かに《担当する調停委員の説得ぶりを採点したい》と思いますのでよろしくご奮闘ください。
これまでの間、大変、長い間お世話になりました。
皆様、本当にありがとうございました。

 

夕暮れの赤穂の海に虹が立つ。これは夢か幻か・・

先週末(3月23日)に播州赤穂に行った。
赤穂義士なんかは興味はない。
坂越の町と赤穂御崎の海岸を歩きたかった。
ところが、ものすごく寒かった。
風は強いは、雨はぽつりぽつりと降り出すは……で、10分もしないうちにホテルに戻った。
6時過ぎで部屋はうす暗くなっていたので、部屋の電気をつけた。
そのとき、海に面している窓ガラスを見ると、何かが海上から立っている。
《何?》
部屋の電気がガラスに映っているのかと思って、電気を消してみたが、消えない。
窓ガラスを開けてベランダに出た。
暗くなりはじめた海の中から(正確に言えば海上から宙に浮いたような形で)虹色の線が浮いていた。
円の4分の1くらいなので、海上からまさに立っているという感じだ。
茶柱が立てばいいことがあると言うが
海に虹が立ったのだから、よほどいいことがこれから起こるに違いない。


ほのかな灯、ここに来て良かったと思えるとき ~つれづれに万葉(割込編)忍坂の古道を歩く⑫

じんご石の後は石位寺(いしいでら)に寄った。
重要文化財の石造薬師三尊があるが、予約必要なため、見ることができなかった。
寺の階段を下りるとき、もう太陽は沈んでいた。
帰りは行きと同じ道を歩いて戻った。
忍坂坐生根神社(リンク)近くに来たとき、うすぼんやりとした光が見えた。
よく見ると、神社の境内の石灯篭にろうそくが灯されていた。
階段を上がった広場の24基の灯篭の全部にである。
境内に人の姿はなく、とりわけ祭り事があるようでもない。
その日は平日(水曜)だったから、おそらく毎日、そして、神主もいないようなので、地域の人が灯しているのだろう。
石灯篭に火を灯すのであるから、万葉や記紀の時代からではなく、鎌倉や室町、江戸時代などから始まったものかもしれない。
神輿を担ぐでもなく、又、神楽というような観光に役立つものではなく、ただろうそくに火をつけるという日常的な行為にすぎないけれども、それが毎日行われているということが、私にとってはよりすごいことのように思われる。
このような営みが続けられている、その場面を見ることができただけでも、ここ忍坂に来た値打ちはあった。
忍坂には心をかすかに揺さぶる何かがある。

 

毎日ともされる
うす暗闇に灯るろうそくの炎に感じるやすらぎ。

 

消えそうなろうそく
風に吹かれて今にも消えそうだけども。


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