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もう、かすかに春が ~つれづれに万葉(割込編) 忍坂の古道を歩く①

2月14日、午後3時過ぎに近鉄の大和朝倉駅についた。

先週は駅の北側の方に降りて三輪山の麓を歩いたが、今回は反対側の南に行くことにした。

駅前にロータリーがあり、そこの坂を上がっていくと住宅街に入った。

敷地面積も広く、しゃれた家も多い、高級住宅街である。

北側は古い町だったが、南には全く雰囲気が違う街の景色が広がっていた。

その街を抜けたところのある広い道路を下ったところに用水路がある。

そこから左に、方角で言うと南に行くのが忍坂の古道であり、近畿自然歩道に指定されている。

この日、最高気温は7度程度と低かった。

しかし、天気もよく、風も吹いておらず、歩いていて爽やかであった。

進行方向の左側は少しの畑があり、その向こうは山である。

大和富士とも朝倉富士とも言われている外鎌山(とがまやま)である。高さは300メートル未満の低い山である。ただ、この古道からは富士山のような形には見えない。

手前に畑があり、その奥に林が山頂方向まで続いている。

樹木は落葉樹、竹、針葉樹と、それらが斜めの帯状に積み重なり、更にその上にもう一つ、落葉樹の帯がある。

この季節、落葉樹はその名の如く、葉を落としており、空に向けてほうきのような枝を広げているだけだが、それでも、景色全体にかすかな華やぎのようなものがある。

立春は今月14日だった。

いつも立春と聞くと、《寒いのに何が春だ》と思っていた。

しかし、よくよく考えてみれば、立春は《春になった》というのではなく、《これから春だ、準備期間が始まるよ》ということだろう。

家でエアコンをつけ、炬燵で温まっているときにはわからないが、こうして外に出てみると、木々が春に向けて準備をしている気配がある。

 

外鎌山麓のこの景色、春にはどうなるか楽しみです。

 

 行く手前の景色。こんな景色が好きである。

大王(おおきみ)はどこでナンパをしたのか? ・・・つれづれに万葉集⑤

万葉集は759年以後に大伴家持がまとめたものであり、それまでの約100年以上の歌がまとめられている。(※諸説あり)
その歌集の冒頭は、前回に述べたように雄略天皇の歌で始まっている。
この人は5世紀頃の人とされているから、実に300年近くも前の歌ということになる。
果たしてこの人がこの歌を作ったかは明らかではないらしく、又、当時は天皇などという呼び方はせず、大王(おおきみ)といったようだが、そのような細かいことはこの際も将来もこだわらないこととする。

さて、この歌の冒頭は次のようなものである。

籠(み)もよ み籠もち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ふくし)持ち
この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(の)らさね 
(以下、全文はリンク:Wikipedia

高校時代、古文などには興味がなかったが、我流の解釈をつけると次のようになる。
《籠などを持って、丘で菜摘をしている娘よ、どこの家の子かな、名前を教えておくれよ》
この時代、家や名前を聞くと言うのは、妻にならないかということを意味したという。
となると、この歌は、さしずめ、大王のナンパ歌ということになろうか。

雄略大王が初瀬(伯瀬:はつせ)朝倉宮を営んだことはこの歌の前文にも書かれ、その宮殿跡らしき場所がこの駅の近くで発掘されているようだから、歌われている丘もこの初瀬の周辺にあるのではないか、その場所を探してみたい。
昨年から今年にかけて、明日香や桜井、耳成などを歩いたが、平地には家が建ち、道路ができ、電柱が張り巡らされ、万葉のおもかげなどはどこにもない。
ただ、一歩、山に入れば、地形は変わらず、木々や草も、昔から営々とその生命をつないできたに違いなく、万葉の時代からの変わらぬものがかけらぐらいはあるに違いない。

自分の足で歩きまわって(といっても自動車を運転しない私には、それ以外の方法はないのであるが)、あちらの道、こちらの道と分け入って、なにか面白いものがないものか、この目で探し出してみよう。
今回の目標は《天皇のナンパの丘》である。
そんな丘がどこにあるかなどは、はっきりとわからないであろうことは百も承知だ。
ただ、それらしい雰囲気のある場所があれば十分ではないか。
無くても、ないということがわかれば、それはそれで十分だ。
朝倉の駅を背にして、二本の足で探り出した、私のおもしろい、あるいは興味を持った風景の報告をしよう。


大和朝倉駅から北へ
大和朝倉の駅を降りたところから北へ行く道



大和朝倉駅から三輪山
同駅から三輪山方面を眺めた景色

大晦日、禅寺で除夜の鐘に突然沸いた拍手はなにか?~暮れから今年のお正月!!③

昨年の大晦日の夜、京阪電車が東福寺駅に着くころには既に除夜の鐘が鳴り始めていた。
駅の改札口を出て約5分、東福寺の門前についた。
まだ、20代後半だろうか、若い僧が立っていた。
《見るだけになりますが、それでいいですか》と言われた。
《見るだけ? ん?》と思った。
鐘のついているのを見て、その音を聞く以外に何があるのだろう?
わからないままに、《いいです》と言って境内に入れてもらった。

境内は暗かったが、先に歩いていく人がいたのでついて行った。
階段があり、そこだけが照明で明るくなり、約100人程度の人がいた。
よく見ると、鐘楼への狭い階段があり、そこに人がならんでいた。
鐘が一つ鳴る度に人が降りてくる。
その度に、待っている人が階段を1つずつ、上がっていく。
そうか、そういうことか。
ここでは、見物客に鐘をつかせてくれるんだ。
門前で僧が言ったのは、《先着順で受付したので、除夜の鐘をつく人は満杯になった。鐘はつけませんがそれでもいいですか》という意味だったのだ。

その場でしばらく鐘の音を聞いていると、突然、拍手が沸いた。
またしても《ん?》と考えた、誰か有名人でも来たのだろうか?
しばらくして、わかった。
12時を過ぎたんだ、新年になったんだ。
応援や激励だけではなく、こんな時にも拍手をするのか。

《おめでとうございます》という言葉ではなく
新年になったという感動を拍手で表現するというような方法もあるのか。
東福寺は禅宗であり、《不立文字》などということがある。
禅の教えは文字や言葉などでは伝えられないという意味のようだ。
おめでとうの言葉ではなく、拍手という行為で新年を迎えるのは、このような禅宗の在り方と関係があるのか、それとも全く関係がないのか・・

 

除夜の鐘が心に沁みいる

 

ゴーンという響き、聞こえますか?

 

闇の中に燦然と浮かび上がる知恩院の巨大な門~暮れから今年のお正月!!②

八坂神社から知恩院の方に歩いて行った。

ここでも門はライトアップされていた。

昼みても、この門は大きい。

しかし、暗闇では光を浴びているため、さらに大きく見える。

開門を待つ人の長い行列ができていた。

この寺の有名な鐘が除夜を告げるのを聞きたい、

境内に参拝したいという人たちであろう。

 

昼ではあるが、知恩院にはこれまで3度くらい、来たことがある。

いつか、正確な時期は忘れたが、本堂の前を歩いているときにお経が聞こえてきたことがある。

もっと聞きたいということで、本堂に上がり、隅っこに座っていた。

本堂も大変大きな建物である。

天井が高く、手前の畳が広く敷かれており、奥には仏壇があった。

お経は仏壇の奥の方から聞こえてきた。

不思議なことだが、そのままお経を聞き続けたいという気持ちになった。

気持ちが、宗教的な雰囲気になってきたという感じであった。

しかし、お経はすぐに終わった。

私は、その後、15分くらい、そのまま座っていたが、お経が再開されることはなかった。

 

除夜の鐘が鳴りだすには、まだ1時間以上も時間がある。

待っているのもしんどいので、帰ることにした。

門を背にして参詣道を祇園の方に歩いて帰っていった。

足元を照らす照明しかなく、道は暗かった。

5分ほど歩いたところに小さな門があり、そこからあの巨大な門を振り返った。

遠くではあり、小さくもあったが、照明に照らされた門が暗闇の中で燦然と輝いていた。

 

浄土宗は鎌倉時代に法然上人によって開かれた。

善行を積んでいない人、困った人、苦しんでいる人でも念仏を唱えれば、すべて救われるという教えである。

法然上人の教えによりどれだけ多くの庶民が魂を救済されたであろうか。

私は無宗教であるが、その当時の庶民にとっては、法然上人は、この輝く門のように、暗闇の中で燦然と輝く光であり、生きる勇気を与えるものであったろう。

 

知恩院の巨大な門

 

遥か遠くに知恩院をながめる

大晦日の八坂、おけら参りに火の用心~暮れから今年のお正月!!①

四条の駅に着いたのは午後10時、八坂神社の門はライトアップされていた。
大晦日で新年までまだ2時間であるが、神社へ行く道は人でほぼ満杯だった。
門前の道路を警官が交通整理を始めていた。
階段を上がって、左右の露天の屋台の中を歩いていく。
場所によっては人が一杯で停滞していた。
時間がまだ早いので、一方通行ではなく
社殿から帰ってくる人かなりいる。
その中で、火がついた縄を持っている人がいる。
その中で、おけら参りの火をもらったのだろう。
火のついた縄を振り回している人がいる。
混雑のなか、あぶない、あぶない、火の用心。
京都では着物を着ていたりする外国人も多い。
おけら参りで火を持っている外国人も結構、多い。
八坂神社の奥の方に火を燃やしているところがあった。
ここで縄に火をつけるのか。
しかし、外国人、このおけらの火をどうするのだろうか。
宿泊しているホテルまでは持って帰れないだろう。
近くのゴミ箱に捨てればボヤになる。
そのとき、思い出した。
門を入ったところでこんなアナウンスがあった。
《おけら参りの火を消すために水を用意しております、ご利用ください》
しかし、日本語だけでしか案内していなかった。
やはり、外国人はどうするのだろう。
地面に捨て、靴で踏んで消すのだろうか。
それが一番、安全なんだけれども、せっかくのおけら参りの火がそのような形で消されるのは切ないなぁ。


八坂神社
八坂神社の門前のにぎわい



おけら参り
おけら参りの火をつけている外国人

今年の秋 私の風景① 余呉湖畔の細い木

2018.11.10

 

この日、余呉湖には午後3時過ぎにつき、

車で湖を一周した。

湖の周辺で黄色になっている木は多く見かけたが。

モミジやカエデが少ない。

紅葉しているのは2ケ所ぐらいだった。

北国といっていい、この湖の周辺では、

もう紅葉が終わろうとしていた。

 

去年もほぼ同じ時期にきたが、

着いたのは日暮れ時であったこともあって

陰鬱なところだなぁという感じがした。

今回はそれより早い時間であったが、

それでも去年と同じく陰鬱な感じがした。

もうすでに、太陽は西の山の方にあり、

斜めから光が射しているせいだろうか。

 

湖畔には今年、近畿地方を襲った台風のせいだろう、

太い木が途中から折れていた。

その横に生えていた細い木が印象に残った。

ここはかなりの雪が積もるらしいが、

その冬の雪にも負けずに生きながらえている、

その木のねじれ具合が気にいった。

 

来年も同じ時期、同じ時間に来ようと思った。

今度は車ではなく、自分の足で歩いてみよう。

そのとき、どんな気分になるのか、

ゆっくりと味わってみたいものだ。

湖畔の紅葉

 

細くねじれた木

つれづれに万葉集① 手術後に突然、頭の中を万葉集が・・

約6年前にがんで胃を半分切除した。
術後、おどろくようなことが起こった。
手術から、3日ほどたった夜のことだ。
寝ようとして部屋の明かりを消した。
壁になにかが写っている。
よく見ると、いろんな動物がモザイクで壁に貼りついている。
象、キリン、ワニ、鹿。
窓の外を見たが、外からの光で写っているようではない。
そのうち、そのモザイクが動き出したのだ。
夢ではない、はっきりと眼が覚めていた。
ないものが見える幻視というものだろう。

同じ日であったかどうかははっきりとしないが、
寝ているような、起きているような、いわば《夢うつつ》という状態のときであった。
万葉集の中の和歌がぐるぐると廻りだした。
《青によし 奈良の都は咲く花の・・》
《東の野にかぎろいの立つ見えて・・》
《三輪山をしかも隠すか・・》
この3つが、順番に湧き出し、繰り返し、何度も頭の中をめぐるのである。
《なんと、素晴らしいのか!!》という大きな感動を伴って。
どこがどのように素晴らしいというような分析などは全くなく、ともかく《すごい》という怒涛のような感情の渦が頭の中を駆け巡った。
大学生のとき、体育の教官が、《昔、自分は精神がおかしくなった時期があった。そのとき、ゴッホの絵に感動し、本当に素晴らしいと思った!》と語っていたが、おそらく似たような経験であったろう。

このような異常な体験は1日だけで、その後は出なかった。
原因はわからない。
それまであった胃の一部を、手術で《無理やり》とってしまったことで、切除部分とつながっていた脳の神経細胞が、どこか違うところとつながったものなのかもしれないし、あるいは麻酔の悪影響がかなりの時間を経ても、なおかつ、脳に悪影響を与えたのかもしれない。
しかし、なぜ万葉集だったのだろうか。
それ以降、万葉集が頭の隅に住み着いたようである。
これまでに万葉集についての本を読んだり、旅行に行って風景を見たりした時にふと考えたことを、これから不定期に掲載していきたい。

 

甘樫の丘から見た明日香の風景。

右端の高い山が畝傍山、その左手の2つの峰が二上山である。

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