人形浄瑠璃で「曽根崎心中」を見たことがある。
高校時代の話だが、そのときに受けた感じを今でも覚えている。
それは《不気味》という感覚である。
こころの中が(屈折しながらも)表情やしぐさに必ず出る、それが人間のおもしろいところであるし、怖いところでもある。
しかし、人形では、心中という極限まで追いつめられた人間の表情を決して表わすことができない。
人間の感情を表現する人形のしぐさが、真に迫れば迫るほど、顔の無表情さが目立つことになる。
置かれた状況やしぐさと、表情とのアンバランス、これが《不気味さ》の正体のようだ。
つれづれに一言