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てくてく旅行記

醒ヶ井を行く(3)西行という男の魔力

タイトル② 本の表紙

泡子伝説は、茶屋の娘が西行の飲み残した水を飲んで子を産むという話である。
もちろん、このようなことは起こりえないが、
それが伝説として現在まで言い伝えられてきたのに世代を超えて残すべき何かがあったのだろう。
さて、西行は日本全国を放浪、行脚した。
桜が好きだったので奈良の吉野山には数え切れず、そして東北にも数回は行っているから、中山道の醒ヶ井も訪れたであろう。
この西行は和歌の歌い手であり、当時の超有名人であった。
今で言えば、矢沢永吉なみのロックスターというところであろうか。
娘はおそらく、西行の名前も、その歌も聞いて知っており、心ひそかに憧れていたのではなかろうか。
お茶を持って行ったとき、娘は西行を初めて身近に見た。
そして一瞬で恋に落ちたのではなかろうか。
その西行とはどのような人物であったのか?
(なお、前回、西行を鎌倉時代の歌人といったが、正確には平安末期から鎌倉初期の歌人というのが正しいので訂正しておく)

西行は23歳で出家したが、それまでは御所を守るエリート武士集団である《北面の武士》の一員であった。
北面の武士は天皇の近くに詰めていたから、眉目秀麗であることも採用条件であったという。
歌人としての面だけではなく猛々しい武士の面を西行は持っていた。
この武士の面を伝えるこんなおもしろい話がある。
神護寺の有名な荒法師の文覚(外部リンク:Wikipedia)は、歌詠みの西行を嫌い、寺に来たら頭を叩き割ってくれようと弟子に常日ごろ言っていた。

ところが、いざ、西行が来た時にはねんごろにもてなした。
いぶかしがっている弟子達に文覚は次のように言ったという。
文章がおもしろく、いかにも生き生きしているので、古文でそのまま引用すると、
「あらふかいなの法師どもや、あれは文覚にうたれんずる物のつらよう(面様)か。文覚をこそうたんずる者なれ」
現代語に意訳すると《情けないなぁ、お前たち。あの顔つきを見なかったのか。あいつはこのわしに打たれるようなやわな男ではない。逆にわしこそ西行に頭を叩き割られそうだったわい》というところだろう。

西行の肖像画

西行の肖像画

この写真の絵は鎌倉時代に描かれたというから西行と同時代か、少し後に西行を知っている人により製作されたものであろうが、意思が強く決断力に富んだ性格があふれ出ているように思われる。
イケメンというよりは男の精気にみなぎりあふれた人物であったろう。
娘はその精気に打たれたのではなかろうか。

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