外部リンク:あおり運転”法廷で「椅子にもたれ腕組み」「サンダル投げ出し」…被告人の驚きの態度”
【まったく反省していないようだ】
サルでも芸で反省のポーズをする。
しかるにこの被告人は、法廷で椅子にもたれて腕を組み、サンダルを履いた足を投げ出していたという。
ずっとそのような状態であったのかどうかは分からない。
しかし、謝罪の言葉を述べなかったというから、全く反省などしていなかったのだろう。
神奈川県の東名高速道路で発生した、あおり運転で2人が死亡した危険運転致死罪事件の話である。
【反省や謝罪は刑の重さに関係する】
真剣な反省や謝罪は量刑に影響する。
謝罪により遺族の処罰感情が薄まるからである。
又、反省することにより、真に悔いているのなら、再犯可能性が減少するからである。
さて、この被告人、求刑は懲役23年、判決は懲役18年であった。
果たしてこの判決結果は軽かったのか。
被告人が反省すれば刑は軽くなったのか。
【参考になる判例がある】
量刑の参考になる事件がある。
平成29年4月の札幌高裁の危険運転に対する判決である。
この事件は、①赤信号を無視して、②170キロで走行中に、③交差点内に左方向から進行してきた被害車両の運転者及び同乗者の計4名を死亡させたというものだ。
求刑は懲役23年であり、判決も懲役23年であった。
今回の事件は、死亡したのは2名、危険運転中の事故ではなく、停車中のものであって、事案としては札幌高裁のよりもかなり軽いと思われる。
【刑が軽いかどうかの私なりの判断基準は4分の3】
私は、現在は民事裁判で相続を中心に担当しているが、若い頃には刑事事件の弁護もしていた。
そのとき、刑が軽いかどうか(それはすなわち弁護が成功したかどうかということでもある)の判断基準を求刑の4分の3としていた。
例えば、懲役2年の求刑で、判決が実刑1年6ケ月なら4分の3になり、弁護がうまくいったのであり、軽い判決という判断になる(参考までに言えば、執行猶予が付けば懲役は2年そのままのことが多い)。
【反省がないから重い求刑になった】
今回の判決は求刑が23年だったので、その4分の3は17月3ケ月である。
判決結果は18年だから、弁護としては成功の《はず》である。
しかし、そのように考えるのは間違いだろう。
求刑が札幌高裁の事件と同様の23年と聞いたとき、私は少し驚いた。
私とても、今回の被害者の立場に立たされたとしたら、恐ろしくなる。
しかし、弁護士としての感覚で言えば、札幌高裁の案件と比較すれば、やはり求刑としては重すぎるという結論になる。
被告人の真摯な反省があったのなら、求刑もそこまでも重くなることはなかっただろう。
しかし、そのような求刑をせざるをえないような被告人の態度であったのなら、重くてもそれは自業自得ということになる。
重い求刑があったなら、裁判所はそれも参考に刑の重さを判断する。
結局、反省、謝罪がないということで、重い求刑があり、その影響で判決も重くなったということである。
【結局、今回の18年の刑は妥当であろう】
反省や謝罪もしていないのに、求刑より5年も軽くなったので、今回の判決は軽かったと思われそうだ。
検察は、今回の死亡は停止した後に発生したが、停止も《危険な速度で「自動車を運転する行為」》であると主張していた。
しかし、危険運転罪とは「人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為」である(平成二十五年法律第八十六号 自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律 第二条 四項)。
このことを考えると、停止も運転だという検察の主張はなかなか難しく、結局、裁判所は停止は危険運転の範囲には入らないという判断をした。
検察の主張する犯罪事実―しかも直接、死亡を発生させた停止という事実―が犯罪行為としては認められなかったのであるから、その分、刑が軽くなるのはやむをえない。
求刑の前提となる犯罪の一部が否定されたこと、もともと求刑が前例と比較して重かったことを考えると、裁判所が求刑より5年減刑したこともやむをえないところであり、妥当な量刑というべきだろう。
(弁護士 大澤龍司)
(弁護士コメント)
北野:
今回は、「あおり運転によって人が死亡した事故なのか」それとも「(あおり運転は事故の前段階にすぎず)直接的には追突事故によって死亡した事故」なのかが大きく争われました点で大きく注目されました。
「あおり運転が原因」なら危険運転致死罪で懲役20年前後、「追突が原因」なら過失運転致死罪でせいぜい懲役7年と、量刑が大きく変わってしまうからです。
あおり運転は非常に危険な行為なので厳しく罰する必要があることは当然ですが、判決を聞く態度を見て刑を重くするわけにはいきませんし、そのような態度をとったから「危険運転致死罪だ!」とする訳にもいきません。
融通が利かない、と言えばそのとおりですが、融通の利かないのが法律のよいところでもあります。
そういえば、裁判所が判決宣告の直前に5分ほどの休廷を取ったそうですが、被告人に反省の態度が伺えないことを察して「裁判員が気にして判決を変えるかも・・・」、という裁判長の配慮だったかもしれませんね(あくまで推測ですが)。
岡井:
私としては、そもそもこの件に危険運転致死罪が適用されるかどうか、微妙な案件だと思って判決を待っていました。
なぜなら、日本は罪刑法定主義(どのような行為が犯罪になるか、法律に定めていないと罰することはできない)という原則をとっていますので、停止中の、しかも車外での行為中の事故を「危険運転によるもの」として処罰することにはかなり無理があるからです。
それでも、車の運転というのは、「走行」と「停止」を繰り返して行うものですから、今回の判決は、停止も含めて一連の運転行為ととらえて、危険運転致死を認定したと考えられます。
今回の判決は、立法化にもつながるかもしれない重要な判決と呼べるのではないでしょうか。
畝岡:
しばしば問題になりますが、裁判所においては、どのような法律を作るかという立法の問題は除外して、現在施行されている法律の適用の結果どうなるかということが判断されなければなりません。本件判決は「融通の利かない」法律を適用するにあたり「柔軟な解釈」を行ったものといえます。
個人的には、立法論ではなく法の適用という意味では少し柔軟すぎるような気もしており、控訴審での審理があれば一審とは異なる結論になる可能性もあると思います。