万葉集は759年以後に大伴家持がまとめたものであり、それまでの約100年以上の歌がまとめられている。(※諸説あり)
その歌集の冒頭は、前回に述べたように雄略天皇の歌で始まっている。
この人は5世紀頃の人とされているから、実に300年近くも前の歌ということになる。
果たしてこの人がこの歌を作ったかは明らかではないらしく、又、当時は天皇などという呼び方はせず、大王(おおきみ)といったようだが、そのような細かいことはこの際も将来もこだわらないこととする。
さて、この歌の冒頭は次のようなものである。
籠(み)もよ み籠もち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ふくし)持ち
この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(の)らさね
(以下、全文はリンク:Wikipedia )
高校時代、古文などには興味がなかったが、我流の解釈をつけると次のようになる。
《籠などを持って、丘で菜摘をしている娘よ、どこの家の子かな、名前を教えておくれよ》
この時代、家や名前を聞くと言うのは、妻にならないかということを意味したという。
となると、この歌は、さしずめ、大王のナンパ歌ということになろうか。
雄略大王が初瀬(伯瀬:はつせ)朝倉宮を営んだことはこの歌の前文にも書かれ、その宮殿跡らしき場所がこの駅の近くで発掘されているようだから、歌われている丘もこの初瀬の周辺にあるのではないか、その場所を探してみたい。
昨年から今年にかけて、明日香や桜井、耳成などを歩いたが、平地には家が建ち、道路ができ、電柱が張り巡らされ、万葉のおもかげなどはどこにもない。
ただ、一歩、山に入れば、地形は変わらず、木々や草も、昔から営々とその生命をつないできたに違いなく、万葉の時代からの変わらぬものがかけらぐらいはあるに違いない。
自分の足で歩きまわって(といっても自動車を運転しない私には、それ以外の方法はないのであるが)、あちらの道、こちらの道と分け入って、なにか面白いものがないものか、この目で探し出してみよう。
今回の目標は《天皇のナンパの丘》である。
そんな丘がどこにあるかなどは、はっきりとわからないであろうことは百も承知だ。
ただ、それらしい雰囲気のある場所があれば十分ではないか。
無くても、ないということがわかれば、それはそれで十分だ。
朝倉の駅を背にして、二本の足で探り出した、私のおもしろい、あるいは興味を持った風景の報告をしよう。
大和朝倉の駅を降りたところから北へ行く道
同駅から三輪山方面を眺めた景色