事務所ブログ

てくてく旅行記

3年目の妙高

山が見えなくても景色はある

今年も5月の連休に新潟県の妙高高原に行った。
天気予報では、初日と2日は雨、3日から天気が良くなるという。
最近の天気予報はよくあたり、妙高2日目は朝から雨であった。

いもり池ではカメラを持つ手が冷たくて困った。
妙高山や黒姫山などの山々が、雲のかなたで全く見えない。
ただ、いもり池の周囲の一連の木々がさわやかな黄緑色で美しかった。
《ああ、やはりいいなぁ・・》という気持ちが湧いてくる。
ただ、写真を撮っても、その色が出ない。
人間の眼とカメラが再現する色とは違うのである。

池の反対側、いつもなら妙高山が見える側に観光客がいた。
傘をさしているが、それが赤、青、黒、白など、
色とりどりに並んでいるのがおもしろい。
なぜか、突然、五線譜が頭に浮かび、
並んでいる傘が音符のような感じがした。

それぞれの人が歩くにつれて、
傘が近寄ったり離れたりし、音のない音楽が演奏されてもいるようだ。
山は見えなくとも、こんなような記憶に残るべき風景はあるものだ。

傘の音符
五線譜に並んだ音符のよう

 

森の恵みを味わう

《ほうー》と息を吐いた。
2秒間程度の短いものだ。
心の奥底からのものであった。
この時の気持ちは表現しがたいが、
自己充足感というか、満ち足りた気持ちというのが
一番近い表現だろうか。

妙高高原村管理組合村(好田先生の別荘のある所)のパーティが終わり
村からいもり池まで一人で歩いて帰った。
雨のせいもあって、森の中の道はだれ一人もいない。
川の流れを覗き、針葉樹の木立を左右に見ながら
しゃがみこんではシダの生命力に感嘆し、
可憐な花があればその写真も撮りながらの散歩である。

時間を気にすることはなく、
他の人に気兼ねをすることもない。
これほどの自由で、気持ちのゆったりする時間を
以前に持ったことあっただろうか。
森の恵みというのがあるとすれば、
私にとってはこういう安らかな心のひと時をいうのであろう。

針葉樹の間
針葉樹の間を歩く

 

川の流れがきれい
川の流れがきれいだ

 

森の中の知的な花

妙高高原管理組合のパーティで向かいに座っていた人に
「この中で一番、花に詳しい人はだれですか」と聞いた。
約50人もいる中で、一番の隅に座っていた女性だと言う。
隅まで行って、撮った写真を見せて聞いてみた。
「これは《えんれい草》」

地面から15センチほど、茎が立ち上がっており、
その上に大きな3枚の葉がある。
葉から、又、茎が3センチほどあって
その先に小さい花が咲いている。

なぜか、《人に見立てると・・》と思った。
背筋を伸ばしたような立ち姿で
スタイルのよい細身の女性、
花が小さいので小顔ということになろうか。

先日、裁判所の近くで知り合いの女性とあった。
ぼんやりしていたので気が付かず
向こうから軽く会釈をされた。
《あ、えんれい草》と思った。
このとき、この草からは知的という印象も受けていたことに気付いた。

延齢草の立ち姿
背筋をのばしていると書いてはいるが、この写真のは雨粒の重みでやや茎が曲がっていた。

 

延齢草の小さな花
その後晴れてきた。こんな、小さな花が咲いている。

 

いもり池から苗名の滝へ

【3日目は晴れて、ハイキング日和】

今回は3回目の妙高への旅行だ。

最初は、一昨年で、日帰りで妙高に来た。
いもり池を見、その後、バスに乗って苗名の滝に行った。
名所だけをスポット的に見ていく、いわば《点の旅》であった。

昨年は好田先生の別荘に3泊させていただいた。
妙高高原管理組合というなんともいかめしい名前ではあるが
関学の学長さんが企画し、開村したという。
この時は、好田先生に案内されて、
別荘地という狭い範囲ではあるが、
そのほとんどの道を歩いた。
これは《面の旅行》というべきか。

今年は、是非、いもり池から苗名の滝まで歩いてみたいと思った。
これは名所をつなぐ《線の旅行》というものだろう。
その線の出発地はいもり池である。
一緒に歩くのは私の長男と東京にいる弟との3人である。
その日は前日の雨も上がって、さわやかな天気であった。

同行二人
同行の2人(右が東京の弟、隣が長男)

 

いもり池と黒姫山
右がいもり池、中央に黒姫山が見える

 

【いもり池に《イモリ》はいるのか?】

いもり池をのぞきこむと鯉がいた。
ただ、岸辺のどこを見ても、いもりの姿がない。
池の傍に説明板があり、いもり池の名前の由来が書かれていた。
昔、源氏の木曽義仲がこの池まで来た。
水を飲もうとした馬が驚き、騒いでいる。
義仲が見ると、赤い腹をしたイモリが沢山いた、それが池の名前の由来だと。
弟が、誰か地元の人からか、次のような話を聞いてきた。
《ここはもともと湿地帯であったのを掘って池にしたところだ。この池にはイモリはいない。ただ、池近くのビジターセンター(ミニ博物館)なら1匹くらいはいるかも》
私は、イモリを見たいわけではないので、まぁ、いてもいなくても、どちらでもいい話ではある。
ただ、堂々とした妙高山と釣り合わせるためには、小さいより、やはりこのような広さの池がいい。
いもり池は、その向こうにある山の大きさと見事につり合いがとれている。
絵葉書的な風景ではあるにしても、見事でかつ壮大でもあり、おそらく妙高屈指の観光スポットであろう。

義仲といもり池
木曽義仲と「いもり池」

 

いもり池と妙高山
池があって妙高山が映える

 

昨日の雨も上がって、妙高山がきれいに見えた。さぁ、苗名の滝まで、念願のトレッキングに出発!

一昨年、初めて妙高高原に来た。
その時は野沢温泉の行きつけの《民宿 池文》に2泊したときであり、妙高へは日帰りだった。
去年は好田先生の別荘に、また、今年は公営宿舎《国民休暇村 妙高荘》にそれぞれ3泊した。
最近の旅行は全て国民宿舎やかんぽの宿、そして今回の国民休暇村のような公営宿舎だ。
私も子供も、サービスは必要最小限でよいし、食事も豪華なものは不要となればこのような選択になる。
今回の宿には、昨年、好田先生と来たときに、昼のバス待ちの時間に一階のフロント前のベンチで休憩させてもらったことがある。
そのとき、清潔なところだなぁという印象があり、次に泊まるときはここと決めていた。

宿泊した国民休暇村 きれいで安かった

 

旅行3日目の5月5日のこどもの日、朝9時過ぎに休暇村玄関前でバスに乗り、イモリ池入口で下車した。
昨日はひと時、強い雨が降ったが、今日は晴天で、池の向こうに妙高山がはっきりと見える。
イモリ池の道路側から見れば、3つの峰が聳え立っており、中央が妙高山で、右が火打山で、ともに標高2400メートル台の山であり、実は妙高より火打山の方が高い。
いずれも深田久弥の選んだ日本百名山のうちの2峯である。
左側の三田原山は少し低いがそれでも2300メートル台である。
この3つの山を見ていると、漢字の象形文字の山の形にやや似ている。

イモリ池から見た妙高の三山

実は、去年、イモリ池から苗名の滝まで、好田先生とバスで行った。
そのとき、次に来たときには歩きたいと思った。
バスや車に乗って見る風景は、眼で見る風景であって、いわばテレビで見る風景と同じではないか。
私は、旅行とは体で、その場所を感じることだと思っている。
だから、日の光がどのように照っているのか、風はさわやかか、どんな花が咲いているのか、林の中はどんな匂いがするのか。
足で歩いて初めてわかることであり、感じることであり、体全体で味わうことでもある。
そんな楽しみを求めて、さぁ、今日はがんばって歩くぞ。

天気も、道も良い。さぁ、いもり池を出発!

イモリ池の西の端にビジターセンターというミニ博物館がある。

そこから歩いて3分ほどのところにコースの案内板がある。

イモリ池から苗名の滝へのコースは《中部北陸自然歩道》の一部のようだ。

全国各地に《自然歩道》が作られており、大阪から東京まで《東海道自然歩道》があるように、ここにもそのような道がつくられているようだ。

その説明によると、2時間半ほどの時間がかかるという。

午前9時過ぎに出発なので、正午頃には滝に着くことになる。

滝の入り口の食堂で昼ご飯を食べるにちょうどよい時間帯になる。

自然歩道はよく整備されており、大人4人が横並びに歩ける程の幅がある。

分かれ道ごとに案内版が設置されており、道に迷うこともない。

前日、昼にはあんなに降っていた雨も上がった。

さぁ、まずは針葉樹の林の中を歩いて行こう。

コース案内

 

 こんな針葉樹の森の中を歩きだした

今年の雪解けは早く、フキノトウも見えなかった。

看板から15分ほど歩いたところに小川がある。
この川を上流の方に遡っていけば、好田先生の別荘のある学者村に行きつく。
昨年はこのあたりまで、解け残った雪があった。
今年は雪のかけらなど、どこにもない。
イモリ池の桜も既に散っていた。
わずかに花期の遅い八重桜だけが咲き残っていた。
昨年、好田先生の別荘の付近にはフキノトウが道や空き地にいっぱい芽を出していた(過去記事リンク:水清く、風爽やか:妙高高原の5月)が、今年は見渡しても、どこにもそのようなもっこりしたこけし植物はなかった。
朝、いもり池まで乗るときに乗車したバスは《燕温泉》経由だったが、昨年はあんなにも積もり、歩くにも困難を感じた雪(過去記事リンク:燕温泉:春の雪原を行く)は、その温泉でもほとんど見かけなかった。
雪の解ける時期が毎年、違うということを実感した。

雪解け水ではなく、前日に降った雨の水だろう

 

快適な道が続く

樹木や草を曲げる雪のすごさを知る。

林の中を歩いていると、そうかと気づいた。

写真の木々も見て、お気づきになるだろうか。

根元が、皆、《し》の字の状態に曲がっている!

写真の右側が妙高山側になり、写真でもわかるように右側の地面が高くなっている。

斜面を滑ろうとする雪の圧力がなせる力技であり、それでも折れずに頑張って成長してきた木々の歴史が形として刻まれている。

変形ということで言えば、ユニークな草を見た。

苗名の滝の駐車場に生えていたものである。

これはなかなかユニークな曲がり様である。

単なる雪だけなのか、あるいは風も加勢して起こった複雑な気流の流れのせいでもあろうか。

根元の曲がりに雪のすごさを感じる

 

写真⑥この形はいかにしてできたのか?

やはり街中より、自然の中が心地良い

歩いて行くと、林の中ではあるが、片側が開けた野原になっているところがある。

陽がさし、明るく爽快である。

私は歩くのが好きで、旅行や出張に行けば、ともかく歩く。

東京に出張し、時間があれば、新宿や浅草の雑踏にも行けば、東京駅八重洲口から海を目指して、月島や佃までも歩く。

しかし、人の多いところに行ったときに、必ず《人酔い》をする。

人間というものは、周りに人が歩いているだけで、それなりに気を使っているらしく、特に私はそれが激しいようだ。

他人の顔を見、服装を見、動きを観察し、二人連れの人だとどんな関係だろうかと、どうでもいいことを考えたりすることもある。

と同時に自分も見られているという意識が常に働いている。

そんな対人関係の意識が心の中に勝手に往復して動くために、街を歩くと、心の芯になにかがまとわりつき、オリがたまる。

自然の中を歩いていればそのようなことを考えることはない。

スミレがあれば、きれいな紫色だ、シダが生えていればなんと元気よさそうなと思う。

《あれ、こんなところに!》といううれしい発見がある、ただそれだけのことであり、意識が一方的に向かっていくだけであり、心安らかである。

その日、空は晴れ、風は吹いてはいなかったが、温度も適温でここちよい。

街にも尽きない興味はあるけれど、やっぱり、自然の中で歩くのは、爽やかで心地よく、体は疲れても心はほぐされていくようだ。

イモリ池とは少し違った妙高が

 

黒姫山を息子と弟が行く

青シャツ少年の《イワナ》釣り

イモリ池から続いていた林を抜けたところ、視界は一気には広がった。

右に妙高があり、道ははるか前方の黒姫山に向かって伸びている。

道の周囲は進行方向に向かってゆるやかな斜面で、一面に畑が広がっている。

杉野沢の集落だ。

 

斜面を水が流れ落ちているが、自然の小川ではなく、畑に水を取り入れるための用水路だ。

幅約30センチほど、コンクリートで固められた水路だ。

青のTシャツを着た少年が、そこで魚釣りをしている。

 

釣りの邪魔をするのも悪いので、一旦、通り過ぎたが、やはり気になる。

10メートルほど行ったところで、誘惑に負け、Uターンした。

《何が釣れます?》と聞くと、《イワナ・・・》と答える。

イワナと言った言葉の語尾が消えかかるようで、小さな声になった。

私の、《そんな狭苦しいところで岩魚なんか釣れるはずもないだろう》という表情を見たからだろう。

その後、20分ほど後に、同じ少年が目の前を歩いているのを見かけた。

どこか近道があったのだろう。

もちろん、手にはイワナなど持っていなかった。

しかし、悪いことをしたかもしれない。

私は《イワナ》と言えば、尺―30センチ程度の大きさの《岩魚》というイメージがある。

しかし、たとえ5センチであったとしても、それもまた、《イワナ》である。

あの少年は、そのような《イワナ》を釣っていたのかもしれない。

その程度なら、あるいはあの水路にいたのかもしれない。

しかし、それならリールなどは大げさすぎていらないとは思うけれども。

林を抜け杉野沢集落に入る。

空は青く道の両側には畑が広がる。

 

魚つりをしている青シャツ少年。

一旦通り過ぎたが、気になって写真だけは撮ってみた。

 

しかし、その後バックしてみた。

イワナ、いるかなぁ…

右下にリール付きの竿が見える。

 

ベンチがあった。一服する弟(右)と息子(左)。

後方は黒姫山。

なぜか、畑を耕す人々に心安らぐ

昨年、イモリ池から苗名の滝へはバスで行った。

途中、杉野沢を少し過ぎたあたりで、畑に野良着を来た3人の農婦がいた。

農作業をしている。

土地に種をまき、丹精込めて、育てて収穫する。

そんな生活って、いいなぁとあこがれる。

その時は、バスだったので、写真を撮る余裕はなかった。

この時に見た景色が印象に残り、もう一度、見たいと思った。

今年の連休に妙高に来た理由の一つである。

バスに乗らず、イモリ池から苗名の滝まで歩こうと思った理由でもある。

 

今年の同じ日、天気も同じように晴れていた。

妙高山もきれいに見えていた。

しかし、去年見た畑には、誰もいなかった。

畑に農夫がいたという、田舎ではありふれた景色ではあるけれど、

それが懐かしく、心に焼きついているのはなぜだろうか。

妙高にはスキー場がある。

林の中を歩けば、樹木の幹が捻じ曲げられている。

そんなすごい季節を耐え忍んできた人たちでもある。

この杉野沢ではないが、妙高の別の場所で石造の「開拓の碑」を見た。

使い古された表現ではあるが、血と汗で開かれた農地である。

そんなたくましくある人たちの農作業をしている情景を写真に撮りたいものだ。

杉野沢の畑。この畑を開拓するのにどれだけの労力が費やされたのであろうか。

 

妙高の麓に広がる畑。小さく農婦が写っている。

 

道は曲がって関川のほうへ。

こんな道、歩いてみませんか?

 

タンポポが《ドレミファソラシド》という感じで咲いていた

一本、川を渡れば人のいない別世界

イモリ池から苗名の滝への道は、中越北陸自然歩道の一部である。

分かれ道ごとに案内板があり、道に迷うことはない。

ただ、杉野沢を過ぎてから、自然歩道を離れて歩くことにした。

観光案内所でもらった簡単な地図があり、それによると関川(苗名の滝の下流)を渡った方が自然豊かな感じがしたからである。

渡った橋は《地震滝橋》という、おそろしい名前であった。

地震のような轟音が聞こえる橋ということであろうか。

たしかに上流の方からゴーゴーというものすごい水音が聞こえていた。

 

川を渡ったところの道は、最初は車の通れるほどの幅があった。

しかし、40分ほど歩いたところで、行き止まりになった。

地図では苗名の滝に行く道があるはずなのに。

ともかく、自然歩道を離れたせいか、道案内は全くない。

 

引き返そうかと思ったが、よく見ると、山側の急な斜面にうっすらと人が通った跡らしきものがある。

弟と子供を待たせて、その石ころだらけの急斜面のがけを登った。

人がすれ違うことができるようなしっかりとした道があった。

 

《おーい、道があったぞ。上がってこい》

弟の話では、ここまでに来る途中に《ちゃんとした装備で歩いてください》と書かれた小さな看板があり、そこのところに分かれ道らしいものがあったという。

《それなら言ってくれよ!》と思ったが、しかし、仮にその分岐点があっても、そちらを選択したかどうかわわからない。

山道は、川はほとんど見えない。

しかし、ゴウゴウという水音は絶えず聞こえていた。

この5月の連休、天気も絶好のこの日、苗名の滝は多くの観光客が列をなしていた。

しかし、この道ではほとんど人が歩いておらず、まったくの別世界だ。

案内が皆無であることを除けば、周りの木々は見事に新緑であり、道端の花もきれいで、なかなか素敵なトレッキングコースではあった。

 

この中央の木の緑のあざやかさが写真では十分出ていない。

人間の目とカメラが記録するものとは違うということか。

 

菊咲きいちげだろうか。

昨年、好田先生が青色のもあると言っていた。

(リンク:水清く、風爽やか:妙高高原の5月 )

本当にきれいで可憐なブルーの花だ。

 

地震滝橋から上流を見る

それほどの水量のようには見えないが、

扇状地にある川なので、水の多くが伏流になっているのだろう。

 

山の中、緑の木々に囲まれていく。

岩の上の柔らかな石

石が好きで、旅行に行ったときには必ず記念に石を持って帰る。

(時として、石というより岩に近いものも持ち帰るときもあるが。)

さて、苗名の滝を目指しての山道を歩いていると、道の右側に苔の生えた岩があった。

その上に小さな黒い石が乗っていた。

大きさは約7センチ程度である。

 

うん??と思ったのは、山にある石は岩が割れたそのままで角ばっている。

楕円形を含め、丸いのは川の下流の石である。

だから、山の石で丸いとなると、《ん?? なぜこんな山の中にあるのかな》という疑問を持つことになる。

しかもこの石、なぜか岩の上にちょこんと乗っかっている。

 

よく見るために石を取り上げようとした。

つまむとグニャと指がめり込んだ。

柔らかいのである。

キツネやタヌキにしては大きすぎる。

鹿のは奈良公園などでよく見るが、丸っこい小粒だ。

そうすると、ひょっとするとこれは熊のものかもしれない。

 

熊にはそれぞれ縄張りがあるようで、木々に首をこすり付けて臭いをつけるというのをテレビで見たことがある。

熊同士であればにおいでわかるだろうが、人間にはわからない。

そのため、人にわかるように、岩の上に目印として置いたものであろうか。

もちろん、この「石」は持ち帰らなかった。

 

先日(9月24日)だったが、NHKのBSニュースで《新潟の妙高で男性がクマに襲われケガ》と放送していた。

もう少し、この記事を早く掲載していれば、事故が防げたかも・・ということはないだろうが。

まぁ、さらっと見過ごしてください・・・

 

近くにはこんな花がある

 

この木は何の木であろうか

 

蕨も元気に生えている

フキノトウ前線を見る

苗名の滝への山道を歩いていくと、フキノトウがあった。

実は前日、好田先生の別荘の近くを通ったが、去年にはあれほど生えていたフキノトウが、今年はほとんどなかった。

この山道では道のあちらこちらにフキノトウが生えている。

この道あたりは、別荘地よりは標高がかなり高いのだろうか、あるいは日光のあたりにくい場所なのだろうか。

それにしても、ここ妙高で見るフキノトウはほんと、かわいらしい。

春、桜前線というのがテレビや新聞で発表される。

桜の開花が日を追って北上するのを報道しているのである。

フキノトウについても、もし前線と言うものがあれとすれば、この芽を吹きだしているここ地点こそ、その最前線ということになる。

小さな赤ちゃんフキノトウ

 

2人になって少し成長してきました

 

家族3人という感じです

 

やや、とうが立ってきました

トンネルを抜けると、噴き出した水が荒れ狂っていた!

きっと苗名の滝に降りる道があるはずだと探しながら山道を歩いていった。

しかし、一向にそのような道は見つからない。

そのうちに、滝の轟音が、後ろ側から聞こえるようになった。

滝を通り越してしまったようだ。

それでもどこかにきっと滝におりる道があるはずと思って歩き続けていった。

突然、トンネルがあらわれた。

山を掘りぬいたものではなく、落石から歩行者を守るためにコンクリートで覆いをした、落石事故防止トンネルのようで、崖の反対側に採光用の窓が多数、開けられていた。

結構長く、50メートルほどもあっただろうか。

そのトンネルを超えて、驚いた、道路が水没している。

前方左側の山の斜面から水が噴き出している。

あたかも3筋の小さな滝があるようで、山道が一面、水浸しである。

そのまま歩いて行けば、ひざの下から靴までずぶぬれになる。

噴き出した水は、道路の反対側では一か所に集まり、1筋の流れとして急斜面を川に向かって勢いよく、なだれ落ちていた。

 

前日の5月4日の昼過ぎ、妙高のイモリ池付近は、一時、かなり激しく雨が降った。

しかし、イモリ池のあたりでは、小川や用水路を見ても、昨日の雨を思わせるような激しい流れなどなかった。

今まで歩いてきた山道で、この日の朝に雨が降ったような形跡は全くなかった。

しかるに、ここの部分だけ水が、激しく、噴き出している。

この崖の地質構造は、岩に数々の窪みや裂け目があり、それが落石につながっているのであろう。

その割れ目などにため込まれた水が、裂け目などの折れ曲がった岩の通路を経由して、今、噴き出しているのであろうか。

ここで対岸の崖を見た。

木々が茂っている向こうに対岸の崖が見えたが、そこからも、かなり落差で滝が川に流れ落ちていた。

結局、このトンネルを出たところからそれ以上は進まず、引き戻さざるをえなかった。

落石から身を守るためのトンネル。長かった。

 

崖から道に噴き出した水の流れ。

右の下が道だが、まるで川のようになっている。

 

噴き出した水は道の端で一本の流れとなり、川へ落ちこんでいた。

 

対岸からもいたるところに滝が流れ落ちていた。

この一瞬、まさに絶妙のタイミング!《登山する人に苗名の滝への道を教えてもらう》 

前回に記載したように、崖からの噴出水でUターンした。

その後、トンネルを経て、山道を戻っていった。

5分くらい歩いた所でヘルメットまで持参している登山家3人に出会った。

互いに《こんにちは》とあいさつをして通り過ぎようとした時だった。

その登山家の一番、後にいた人が《苗名の滝に入る道はそこですよ》と声をかけてくれた。

私たち3人が、ほんの今、通り過ぎたところに、下に行ける道らしいものがある。

それをたどっていくと確かに苗名の滝に行きついた。

その日、山道を1時間半程度は歩いたが、他に誰にも会わなかった。

もし、あの3人に会わなかったら、これまでに歩いてきた山道をもとに戻り、地震橋から約1時間程度、滝にむかって歩かなければならないことになっていたはずだった。

もし、登山の人たちに数分間、前に会い、あるいは数分間も後に会ったとしても、道を教えてもらえなかったであろう。

なんという、絶妙なるタイミングであろうか。

人生にはこのようなこともありうるのか、というほどたいそうなことではないけれども。

登山家に教えられた道を下りた途中から見た苗名の滝

苗名の滝から太く、豪快に水が流れ落ちる。《3回目の苗名の滝》

登山する人に教えられた苗名の滝へ下っていく道は、細くて急な下り坂であった。

前日の雨のせいでぬかるんでおり、弟と子供は2回ほど、私は1回、足を滑らして転倒した。

降りる途中、木々の間から滝が見えたが、水量が多いせいか、迫力があった。

一昨年、去年と今年の3年連続で、苗名の滝を見てきたが、今年が一番、迫力があった。

滝につき、ほぼ滝の直下近くの岩の上で、滝を見上げたが、水量も多く、ドッドッドッいう轟音を出して滝つぼに流れ落ちている。

この滝の面白いのは、滝の上の岩が丸くえぐられているところである。

激しく水流がぶつかり、岩盤をぶち抜いたという感じがする。

そのえぐられたところから一気に大量の水が流れ落ち、いかにも大迫力である。

が、水量が多すぎるため、滝の流れの幅が太くなりすぎる。

そのため、写真を撮影したが、高さが十分に表現できないようだ。

誠に勝手なことではあるが、適度な水量の方が、被写体としての滝としてはいいのではないか。

私がそのような、誠に勝手なことを考えているときにも(当然のことではあるが)、滝は絶え間なくドッドッドッと流れ落ち続けていた。

 

滝へ降りる道で見つけたヤマアジサイ。どんな花が咲くのだろうか。

 

水流豊かに流れ落ちる苗名の滝。

 

少し遠くから撮影した。落ち口がえぐれているのがわかるだろうか。

 

水が岩をはむという表現がピッタリの感じ。

自然の厳しさ、その裏に隠された人の強さ

トンネルの先の崖からの噴出水を見たとき、自然の厳しさを垣間見た。
もし、この先の山道を歩いている時、突然、雨が降り出していたら・・・
水は怒涛の如く腰あたりの高さまで噴き出していただろうし、山道は水没していたのであろう。
激しい雨の中で私たちは立ち往生したに違いない。
私たちは、自然を楽しむということで、弟などは革靴というなんとも安楽で、気軽なハイキング気分で歩いていたが、一歩間違えれば、自然はその牙をむき出すということだ。
私達が楽しんでいたのは、変転自在の自然のうち、天気がよく、寒くもなく、風も吹かない、ごく安全な部分のみであった。
しかし、自然は、状況によっては、一転して危険なものになりかねない、ということがよくわかった。
昨年、バスから見た、畑を耕している農婦たちの《牧歌的》な姿も、それはあくまで妙高の自然のもっともよいシーズンの話でしかない。
ここに住んでみれば、毎年、木の根元さえ曲げてしまうような雪の圧力があり、強い風が吹くであろう、その中でそれを耐え忍んで彼女らがここで生き続けているということだ。
自然の厳しさとそれに耐えうる人間の強さ、忍耐、その長年の継続として成り立った開拓、妙高には目に見えないものが積み重なっている。

妙高の自然の厳しさを体感した

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