今年のゴールデンウィーク、3泊4日で妙高高原に行ってきた。
天気も良く、冬の寒さもなく、夏の暑さもない快適な旅行だった。
その時に撮影した写真を中心にして、妙高の素晴らしさをお届けする。
あまりうまい写真ではないが、爽やかさを感じていただきたい。
林の中のこの別荘で3泊4日を過ごしました
3泊したのは好田先生の別荘だ。
私が高校3年の時の担任の先生だったが、その後、大阪外語大学の教授にもなられた。
事務所に来られた時、妙高に家があるという話をされ、写真を見せてもらった。
よほど写真に見入っていたのだろう。
その後、しばらくして好田先生から電話があった。
《ゴールデンウィークに妙高に来ませんか?》というお誘いだ。
喜んで行かせてもらうことにした。
別荘は、妙高高原のいもり池から徒歩で約20分程度のところにある。
周りは林で、別荘がポツン、ポツンという感じで散在している。
建物は北欧(確か、スウェーデンとか聞いた気がする)から輸入したものである。
木造の1階は広い吹き抜けのリビングと寝室が1部屋、2階に個室が2部屋のシンプルな造りだ。
先生とはリビングで話をしたり、食事をしたりした。
一休みしたければ、《すみません、30分ほど部屋で休んできます》ということで、2階の部屋に行けばいいので、気楽に過ごすことができた。
リビングの奥の壁には、秋の池の写真が飾られていた。
いい写真だった。
《プロが撮影したものですか?》
と聞くと、先生がイギリスに留学したときに撮影したものだという。
階段にも印象に残る写真があった。
ほぼモノトーンに近いもので、浜辺に船が置かれているという感じのものであった。
それもイギリスでの写真だという。
本当にうまい。
すごくうまい写真その1
その2-浜辺の小舟を写したもので、ほとんどモノトーンみたいな感じ
写真の話が続く。
《同じ場所で同じ写真を撮っても、人によって全く違う写真ができるというのはどういうことだろう?》という話もした。
どの瞬間に何をどのような大きさと角度で撮影するのかというところに、カメラマンの人柄が表れるのかもしれない。
又、先生が壁にかかっている絵(新聞の切り抜き)を見て、《これ、誰が描いたかわかる?》と言った。
抽象画で色使いもなかなか達者なものだった。
ミロ?モンドリアン?・・考えあぐねていると先生は言った。
これはイギリスにいたチンパンジーが描いたものだと。
それに感心して、新聞記事を切り抜いて、壁に飾っているのだと。
先生に作っていただいた食事を食べた後も、お酒を飲みながらの話が続いた。
サルでも絵が描ける!
《すごいですねぇー》
このリビングで夜遅くまで話がはずんだ
気づいた時には夜11時30分を過ぎていた。
妙高の第1日目は楽しい話で盛り上がった。
水清く、風爽やか:妙高高原の5月
別荘地の管理人さんの自動車で先生の別荘に送ってもらった。
道路の脇にはまだ雪が消え残っていた。
別荘について車を降りたとき、道路に緑色のぽつぽつとしたものがある。
よく見ると、道路の真ん中にフキノトウが生えているのだ。
妙高では、どこにでも生えていた。
別荘の前の道路の真ん中にはえているフキノトウ
フキノトウは自体はそんなに珍しいものではない。
自宅の家の庭にも毎年4~5個程度は顔を出す(生えてくる)。
驚いたのは、花の色である。
家のは、花の色が白っぽく、カサカサしたような感じがする。
ここでは花が少し黄色味がかっていて、爽やかでういういしい。
(山菜が好きな人なら天ぷらにしたらおいしそうというのではなかろうか。)
それは妙高の、しかも林の中というその場の条件のせいかもしれない。
それにしても《フキノトウがこんなにきれいとは》知らなかった。
この中心のうす黄色に美しさを感じた
先生の家を出て、少し下ると、雪解け水が流れる小川がある。
別荘近くの小川(右上の白い部分は残雪)
2日目の朝、そこを通ると、細い流れのそばに白い花が2~30本ほど生えている。
しぼんで下も向いているので、花の形はわからない。
ほら、このとおり花を閉じて下を向いている
先生によると、これらは《キクザキイチゲ》という花で、夜は眠るが、昼は花を開くという。
その日の昼に見ると、確かにつぼみが上を向き、花弁も開いていた。
菊のような形の花姿であった。
《キクザキ》とは《菊咲》ということのようだ。
昼間には、元気よく上向き
坂の下りていくと、道の脇にうす紫の花が3輪ほど咲いていた。
少し肉厚の葉がたくましい!
斜面にあったので、《あれは何の花ですか?》と尋ねたところ、
《カタクリ》という先生の答えが返ってきた。
現物を見たのは初めてだ。
近づいて見ると、花弁が途中で折り返っており、間違いなくカタクリのようだ。
写真などで見ると、華奢な感じの花という印象がある。
しかし、葉はがっちりとし意外とたくましい。
何メートルの雪が積もる中を耐えて生きているのだから たくましくもなるのだろう。
花の話が続いたついでに《ミズバショウ》の話もしよう。
いもり池にいけば《ミズバショウ》の大規模な群落が見られる。
いもり池のミズバショウ群落
しかし、群落でなくてもいいというなら、この辺りの湿地にはそこそこ生えている。
先生の別荘を出て、歩いて5分くらい下ったところの湿地にも2~3本ほど、生えていた。
また、バスの窓からも見えた小川にも、数は少ないにしても、ミズバショウが生えているところを何か所も見た。
アップしてみると、白と黄色のとりあわせがきれいだ
別荘の管理人の人と話をした。
《ミズバショウというのはがっちりして大きいですよね》と言うと、《そう、あれの葉を取って肥料にしていたんだ》とか、《あれを抜き取ろうとしてひっぱったが、根っこでつながっていて取れなかった》ということも教えてくれた。
写真では小さな花という感じがするが、カタクリと同様、なかなかたくましい。
管理人の方は地元の方で植物のことをよくご存じで、《ここに山ブドウがある》とか、《これが山菜のこごみ。ただ、葉が開くと食べられない》という話を聞かせてくれた。
土から噴き出した、この力強さを見よ
この写真のシダを見ていただきたい。
このシダも印象深い。
なんという造形だろう。
地中からガァーと手を突き出しているようで、《雪も解けた、さぁ、でるぞー》という気持ちを形で表せば、このような力強い姿になるのだろう。
ショウジョウバカマ 家の近くの私市でも生えているが、ここの方が花のピンク色が濃い
ここ妙高では、5月の始めになって、やっと桜が咲きだしたというが、フキノトウもキクザキイチゲもカタクリも、そして、ショウジョウバカマも、ほぼ同じような時期に咲きだし、いもり池の近くのこぶしも枝にいっぱい、白い花をつけていた。
いもり池付近のキタコブシ 一体いくらの花をつけているのだろう
いもり池あたりで、標高750メートル程度と聞いた。
この高さでは、雪が解ければ、地中から草花が一時に噴き出してくるという印象であった。
※なお、当初「いもり池あたりで、標高1100メートル程度」と書いていましたが、好田先生からのご指摘を受けて「750メートル」に訂正します。
5月の風に吹かれて妙高山を撮る
妙高山を見るための一番、定番の場所は《いもり池》である。
実は昨年の9月、長男と来たことがある。
その時は曇りで、妙高山頂は雲の中であった。
昨年のいもり池。山頂は見えなかった。
水面は外来種の水草が大繁茂していた。
今回、5月3日と4日はスッキリと晴れており、
青空を背景にした妙高山を見ることができた。
まずはその写真を見ていただこう。
雪を頂く妙高山と咲きだした桜
ついでに妙高山に向かって左側の黒姫山の写真も載せておこう。
確か、昔、そういう名前の相撲取りがいた。
黒姫山。妙高山ほどのゴツゴツ感はない なだらかで、姫という名が似合っている
ところでここに載せた写真だが、ここに来たみんなが同じような写真を撮っているようだ。
手前にいもり池、そこに咲くミズバショウを入れたり、いれなかったり、そして頂上に雪を頂いている妙高山と役者がそろって、まるで絵葉書のような写真になる。
《きれいですねー》とほめられても、それは景色がいいのであって、撮影している人の腕前をほめているのではない。
まあ、率直に言えば、個性がない写真とでも言えようか。
目先を変えて、夕方に撮影したが、名脇役の夕焼けがないため、ただ、薄ら黒い山になってしまった。
夕方に撮影。
夕焼けがあればもっと違う感じになったが。
前景を変えようと、いもり池のバス停から建物を入れて撮ってもみたが、これも、又、絵葉書写真になっている。
いもり池のバス停からの《絵葉書写真》
前景に人を入れてみたらと考えて、好田先生を入れた写真を撮った。
もし、魅力のある写真になっているとすると、それは先生の持ち味が写真に反映しているということだろう。
代り映えしないというのなら、それは私の写真の腕が悪いということにしておこう。
より、悪くなったというなら、それは・・・・
我が恩師、好田先生
ついでに頂上にかかる雲をいれた写真もご覧いただこう。
少しはアクセントになっているだろうか。
妙高高原3目日の朝、今日も爽やかである
いもり池から苗名の滝方面にバスで10分ほど走ったところに、杉野沢を超えたあたりには畑が広がっている。
信濃の黒茶褐色の土が広がっていた。
農家の女性が3人ほど、耕作をしていた。
ジーンズなどではなく、みんな野良着姿であり、それがかっこよく見えた。
いかにも風景に溶け込み、妙高山と一体の景色として溶け合っているようだ。
《あ、ここを撮影したい》と思ったが、バスはもちろんそんな気持ちを考慮することなく、サッサと通り過ぎていった。
ミレーの画で「落穂拾い」というのがあるが、あのように女性をアップしたようなものではなく、しかし、人物が点々のような小さいものでもいけない。
妙高山という大きな自然、農作業をしている人間の営み、それらを調和した形で写真に取り込むというのもいいかもしれないと思った。
突然、話が変わるが、妙高高原へは東海道新幹線経由(東京⇒長野)で来た。
静岡近辺で富士山が見えた。
曇りだったが、それでもふもとから頂上まで見えていた。
《絵に描いたような景色!》と声がした。
近くの座席にいた60代くらいの女性だった。
同じ言葉を3度も繰り返した。
車内に広がるような大きな声だったが、よほど、感激したのだろう。
窓の外の富士山を見たら、頂上まで見えていた、
しかし、曇天のため、背景は灰色で、私は感激などしなかった。
列車内の他の客も特に共感をするような雰囲気はなかった。
あの女性はなぜ、あのような感動をしたのであろうか。
今、カメラはデジカメ時代であり、ピントや露出だけでなく、その場の光が太陽光なのか電灯なのかまでも全て考えて、撮影してくれる。
もし、あの声を出した彼女がそんなカメラを持てば、どんな写真をとるのだろうか。
他人には見えない、彼女だけが見ている何かを撮影することができるのであろうか。
燕温泉:春の雪原を行く
(妙高高原滞在3日目の5月5日は燕温泉に行った。
その写真と簡単な文章をお届けする。)
硫黄のにおいがする。
狭い道を水が流れている。
雪解け水ですか?と聞くと 先生は、硫黄の匂いがするから、温泉の水だろうという。
細い道の右側に旅館やペンション風の建物がある。
左側には土産物屋が3軒ほどある。
燕温泉はそれだけの街並みであった。
燕温泉の街並み、道の左右の建物で全てである
坂道の上がり切ったところは雪景色だった。
赤倉温泉から更に登ってきたバスの終点、
燕温泉は標高1100メートル。
5月5日なのに、冬がまだたっぷりと残っていた。
坂道の行きついたところは雪原となっていた
土産物屋に《バスタオル レンタル料 400円》との看板があった。
《こんなところでバスタオル?》と不思議に思った。
雪の斜面を登って行く。
先生が先頭だ。
足取りもしっかりしている。
80歳を超しているが、達者なものだ。
春なのに、ほら、こんなに雪が
15分程、登ったところに露天風呂があった。
男風呂と女風呂とは分かれているが、
風呂は外からはほぼ丸見えであった。
バスタオルはここで必要になるということらしい。
男風呂は雪原から丸見えであった
斜面の途中で滝が見えた。
惣滝といい、はるか遠くの山の方にある。
日本の滝百選に選ばれたという。
はるか遠くに流れ落ちる惣滝がみえた
雪原を下りていく人あり・・
雪の斜面から降りてきた後、《花文》という宿の風呂に入った。
《燕温泉》のバス停のすぐ上にある建物だ。
丁度、昼過ぎだった。
《花文》というしゃれた名前だった
服を脱いで風呂の扉を開けたとき、驚いた。
風呂場の床に寝ている人がおり、立ち上がってきたのである。
昔、九州の指宿温泉に行ったとき、地域の共同浴場に入ったことがある。
そこの風呂場に横たわっている人がいた。
木の枕があり、床面近くに開けられた窓から風が吹き抜けていた。
いかにも気持ちよさそうであった。
そのとき、いつか、このような経験をしてみたいと思った。
この燕温泉で洗面器を枕代わりにしてしばらく、寝転んでみた。
残念なことに、心地よいという感じではなかった。
風が吹き抜けていなかったせいだろう。
薄い乳白色の湯で、ほこりのような湯の花が水中を漂っていた。
穏やかなぬくもりがある、とてもいい温泉であったが。
時間が戻るが、雪原で一服しているときのことだ。
撮影しようとしたところ、先生が空を見上げていた。
しばらくの間、そのような姿勢を続けていた。
何を見ていたのだろうか。
《おお、神よ!》
先日、お会いしたときにこの写真を見ていただいた。
この写真、《おお、神よ!》というタイトルにしようと思っているのですよ、と言ったら笑っておられた。
その時、何を見ておられたのかは聞かなかった。
先生も説明されなかった。
なにか《聖なるもの》を感じられたのか、あるいは空を飛ぶ鳥をみておられたのか。
説明することでもなく、質問することでもない。
答えがわからないままの方が、より印象深く、こころの中に留まるということもあるだろう。