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過去の判例と市民感覚 どっちが大事なのか

外部リンク:「裁判員裁判の意味ない」=通り魔事件の遺族-制度導入10年

記事によると、裁判員裁判で死刑判決が出た大阪での通り魔事件について、第二審の大阪高裁は、死刑判決を覆し、無期懲役を言い渡した、とのことである。
裁判員裁判では、有罪であると判断された場合、罪の重さ(死刑・無期懲役・懲役〇〇年など)を判断する。
これを量刑判断というが、裁判員裁判が導入されてから10年の間、裁判所や関係機関はいつもこの「過去の判例が大事か」「市民感覚が大事か」というせめぎ合いに悩まされてきたように思う。

「過去の判例が大事だ」という人は、次のような意見を述べるのではないだろうか。
「裁判員は感情的な判断が伴う。人によって判断がバラバラになり不公平」
「感情だけで裁判をするのは間違いの元だ」
「『殺人なら問答無用で死刑』、という短絡的な考えにつながる」
 
一方、「市民感覚が大事だ」という人は次のような意見が多い。
「市民感覚を取り入れるための裁判員ではなかったか」
「過去の判例が大事なら裁判員は必要ない」

裁判員裁判の導入の際には、まさにこの量刑判断に市民感覚を取り入れたい、という議論があったように記憶しており、過去の判例との比較に悩みながらも、裁判員の判断を尊重した高等裁判所の判決もいくつかあったように思う。
このような量刑争いが上告審に移った場合、最高裁としては進退両難の判断を求められるだろう。
いずれの方針を打ち出しても他方からの批判は免れない。
そうすると、裁判員裁判自体も、「過去の判例か」「市民感覚か」という相容れない二つの方向性のどちらを採用するのか、あるいはどこで折り合いを図るのか、という判断を、批判を承知の上で進めていくしかないのだろう。
まさに裁判員裁判は、今、岐路に立たされている。

(弁護士 北野英彦)

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