小学校3年ころの話である。
担任の先生が、急用ができて
「午前中は自習」ということになった。
クラスの全員が喜んだのは言うまでもない。
当然、自習などしなかった。
クラス全体が騒ぎ出し、
最初は控え目だったが、そのうち、クラスが沸き立つような騒ぎになった。
大声を出す、机の上を飛び回る、
騒ぎ声は教室全体から廊下にはみ出し、
おそらく全校中に広がったのではなかろうか。
午後、用事を終えた担任の先生が教室に入ってきた。
「騒いだ者は立て!!」、その顔は怒りに満ちていた。
あまりのきつい言葉にクラスの皆が下を向いた。
3分たっても、4分たっても誰も立ち上がらない。
私も立ち上がらなかった。
しかし、心の中で激しい葛藤があった。
《立つと怒られるから立たない!》という気持ちと
《騒いでいたから立つべきではないか?》という気持ちが。
時間が立つうちに、《立つべき》という感情の圧力が強まった。
心理的圧力で釜が爆発したような状態なので
ガバっという状態で立ち上がったのではなかろうか。
教師の憎しみの視線が私に注がれたのは言うまでもない。
「ほかにもおらんのか!!」
その後、5分過ぎても、10分過ぎても立ち上がる者は誰もいなかった。
結局、私一人がその教師から憎まれ続けることになった。
《正直者がバカを見る》ということかもしれない。
これまで、長年生きてきてそれなりの経験をし、しかもそのうちの大半を弁護士という職業に従事してきた。
さて、果たして、同様の状況に立ち至ったならば、今の私ならどうするであろうか?
今、思い返しても、あの時の起立は間違っていなかったというのが答えになるだろうか。