木に意識など、あるだろうか。
そんなものはないと言えば、
《苦悩する》というのは間違いということになる。
毎年12月末に奈良の高畑の宿に一泊する。
そのとき、必ず飛火野に行く。
春日野の原生林が途切れるところ、
鹿の毎日の食事のせいで
見事に芝生になったその端っこに
一本の木が生えている。
葉を落とし寒々と生えている。
少し離れたところから見た《苦悩する木》
右端に写っているのがそれである。
幹から突き出した枝はねじれ曲がり、
まるで静脈のようだ。
あるいは一連の神経系のようにも見える。
空に向かってのたうちまわっている、
これが私のいう《苦悩する木》だ。
これが私の勝手にネーミングした
《苦悩する木》である
ここに来るのはいつも夕方の太陽が沈むころ。
風が寒々と吹いている。
初めて見たのは今から4年前。
この木を見て、苦悩を形にすればこうなると思った。
その木が紅葉するという話を聞いた。
是非、見にいかなくては。