《あれが智恵子さんの生家です》
とタクシーの運転手が言った。
50代くらいの女性であったが、
なまりのないきれいな標準語だった。
左前方の2階建家屋が生家だという。
《まるで土産物屋みたいだ》と思った。
玄関に《酒類醸造元》などと書かれた3枚の暖簾が
かかっている。
2階の大きな看板には大きく《花霞》と書かれている。
作っていた酒の銘柄だろう。
看板の最後にある《長沼今朝吉》は醸造所創業者で智恵子の父である。
看板の横に丸い杉玉が吊り下げられ、
軒下には大八車まで置かれていた。
元々は朽ち果てかけていた家を
おそらく大改造(新築?)したのだろう。
荒れ果てたという雰囲気は全くない。
建物の両端にピンクののぼりが計6本ほどあった。
土産物屋かと思ったのは、こののぼりのせいだった。
春の連休にしては、少し強い風にはためいている。
《智恵子餅》などと書いてあるかと思ったが、
そうではなく、《智恵子の生誕祭》と書かれていた。
この華やいだ色ののぼりは
私が(勝手に)作り上げた智恵子のイメージにそぐわない。
今、目の前にあるのは《観光施設》としての智恵子の生家であり、
現実の智恵子の生涯の醸し出す雰囲気とは全く違う。
それが最初に受けた印象だった。