《一家離散の歴史は跡形もないけれども》
玄関には、紺地に白色の3枚ののれんがあった。
左から《米屋》、《種類醸造元》、《こめや》と書かれていた。
5月の初めにしては少し肌寒い風に吹かれ、緩やかに動いている。
2階から道に突き出した小屋根に酒造所を示す杉玉がぶら下がり、酒樽を運ぶための大八車までおかれている。
智恵子は今から130年も前の明治19年(1886年)に生まれた。
父の今朝吉が死亡した後、昭和4年(1929年)に生家は破産して、一家離散した。
その時からでも100年が経過している。
それなのに、のれんには汚れ1つなく、白い壁にはシミもない。
今も酒屋か土産物屋として営業しているかのようだ。
流れ去った年月も、悲惨な出来事もどこかにおいて、《生家》が建っている。
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