《阿弥陀はただただ座っておられる》
裏の廊下をぐるりと回って本堂に入った。
障子越しの光の中に阿弥陀像がある。
中央の大きな仏の左右に4体ずつ、
合計9体である。
次男の嫁(真生さん)が手を合わせている。
(先祖が京都の仏具屋さんだったらしい)
実はこの寺には来るのは4回目だが、
1回も手を合わせたことがない。
3年前の夏に来たときに
本堂の隅に20分ほど座ったことがあった。
しばらく座っておれば、何かを感じるかと思ったからだ。
当然だけれども、その間、仏からの呼びかけはないし、
自分の中に何かが動くこともなかった。
それにしても、阿弥陀仏像というのは、
宇治の平等院のもそうだが、
どうしてこんなえらそうな顔をしているのだろう。
無表情に上から人を見下しているように見える。
「おい、阿弥陀仏、そんな上からではなく、
今すぐに庶民の中に降りてこい」と、
私は、《上から目線》で言ってみたい。
そんなことを言って
罰があたったどうするんだという声が聞こえそうだ。
でも、もし、そうなったら、
それは阿弥陀仏がいたということだ。
私はとても嬉しいし、
そのときには、ここ浄瑠璃寺に来て、
これらの仏像に手を合わせて
心から《助けてください》ということにしよう。