建礼門院が高倉天皇の后であったとき、阿波内待(あわのないじ)という女官(侍女)がいた。
建礼門院が京都に戻ったとき、阿波は大原の寂光寺の庵主(住職)をしていた。
阿波は建礼門院を引取り、寂光寺の庵主にし、自らは侍女になった。
大原女の服装は彼女のアイデアだというし、大原名物の柴漬けだって、彼女が考え出したものらしい。
頭もよく、やさしくて、しっかりもしていた人だったのであろう。
人が地位を失い、無一文になって、悲嘆にくれているとき、これを助ける。
話し相手になり、慰めてももらえる。
建礼門院にとって、唯一の幸福はこの阿波のような人がいたことだろう。