【発生してからでは遅い労働災害】
「ブラック企業大賞」なる授賞式も行われているほど、近年、パワハラ・セクハラ・長時間労働などによる労働災害の問題が話題となっている。
長時間労働等による過労死はもちろん、従業員が精神疾患、脳疾患等を患い後遺障害が残存したとあれば(企業の責任が認められた場合には)、企業が支払い義務を負うのは何千万、何億という金額となる。
上記のような賠償責任を負うこととなれば、特に中小企業においては、一度のことで破産に陥ることすらありうる。
このような事態を防ぐために、損害保険業界では企業の使用者賠償責任保険の特約としてパワハラ・セクハラ・長時間労働などを原因として企業が損害賠償責任を負う際の保険が創設されている。
もちろん企業としては、労働環境を整え労働災害を未然に防ぐことが最優先である。もっとも、万が一企業が損害賠償責任を負うこととなってしまった場合の備えとして、上記の損害保険に加入することも現在では必須であると考えられる。企業が保険に加入することにより、被害者の救済にもつながるのである。
【弁護士の役割】
弁護士が役割を果たす場面としては、多くの方が裁判等の紛争が「発生した」場面を想起するのではないだろうか。しかし、(特に企業側の視点からは、)紛争の「予防」が弁護士の重要な役割を果たす場面であると考える。
いざ、紛争が発生してからでは、企業としては適切な賠償を行うことが不可能なことがありうるところ、これは被害者側から見れば適切な賠償を受けることができず救済されないということを意味する。
企業としては、日常より弁護士に相談の上、就業規則等を適切に作成し、損害保険にも適切に加入し、労働条件等に関してアドバイスを受けるなど、準備を整えた上で、いざ紛争が生じた場合には弁護士が前面に立つというのが、近年求められている弁護士の役割ではないだろうか。企業側が準備を整えることにより、そもそも「被害者」が発生することを防止することが何よりも被害者の救済につながると考えられる。
(弁護士 畝岡遼太郎)
(弁護士コメント)
北野:
記事にあった電通事件が起きた報道を耳にした際、「また電通事件か?」と思った記憶がある。
「電通事件」と言えば、我々弁護士には有名すぎるくらいの事件なのだが、それは今回の記事にあった事件ではない。今から約27年前の平成3年に電通の社員が過労自殺した事件のことを意味する。
平成3年に起きた電通事件では、過労死ではなく過労「自殺」に企業の責任を認めた最高裁判決が出たことで大きく世間に注目された。法律の専門家としても、法学部や法科大学院の教材に掲載されるほどの重要判決である。
それほど世間にも専門家にも注目され、再発防止のため政府や企業で多くの取り組みが行われたはずだが、悲しいことに「第二の」電通事件が起きてしまった。
電通の社員さんが過労を原因に自殺するという点ではそっくりの事件である。
以前、個人的に(第一の)電通事件判決を詳しく読んだことがある。
判決中では、当時自殺された社員の方が非常に辛い労働環境の中で追い詰められていく様子が生々しく書かれていたことが印象的だった。もし自分がこのような労働環境に置かれていれば同じ途をたどったかもしれないと怖くなったほどである。
判決文はネットで公開されているので、非常に長いが興味のある方は読んでもらえればと思う。
大澤:
テレビなどで神戸製鋼やニッサンなどの大企業の経営陣が謝罪をしている姿を見かけることが多い。
それにもかかわらず、検査不正が繰り返される。
業績を上げるためにコストカットをしなければならない、そのために検査員を減員する、そんな経営方針でいいのかという点を本気で改善しないと、いつまでたっても検査不正は続くのではないか。
電通は広告メディアでは最大手であるが、顧客を獲得するために夜遅くの接待もあるだろうし、また、その後に引き続き仕事があり、昨日は3時間しか寝なかったというようなこともあるだろう。
会社幹部がテレビなどの前でいくら頭を下げても、よほどの事業全体の仕組の見直しをしない限り、残業は減らないだろう。
一時は業績がダウンしてでも、残業は減らすという強い方針を打ち出し、残業しないシステムを実行できる力のある社長がいないと、残業削減の実現は難しいのではないか。
また、数年後の近い将来、第三の電通事件が発生するような気がしてならない。
岡井:
大手企業での過労死の問題は、最近問題になったものだけでも、和民やNHK記者など多数起きている。
最近では、教職員も全体の4割が「過労死ライン」を超えて働いているというデータもある。
問題が起きたときは、メディアが取り上げ、企業も改善策を講じようとするが、どの企業も結局は会社の利益を優先し、うやむやになっていき、その頃また新たな過労死事件が発生する、というループが起きているように感じてならない。
電通の社員は、おそらく今でも、依然とあまり変わらない労働環境にあるのではないだろうか。