外部リンク:「胸なめられた」は麻酔覚醒時の性的幻覚か 男性医師に無罪判決
本件事件において真実はどうか、裁判所の判決は正しいのか様々な意見があるように思う。
もっとも、裁判所も神ではなく100%真実に合致する判決を下すことはできない。あくまでも「証拠」から事実を認定し判決を下すのである。本件はこのことを如実に表すのではないか。
刑事裁判は、被告人が100%無実であることを証明する場ではない。有罪とするには、被告人が犯行を行った犯人であると、「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証」を検察側が立証しなければならない。
本件に関する争点の一つとして「胸に付着していた唾液の鑑定の信用性」が挙げられている。
本件に関する別の記事を見たところ、DNAに関しては、本件ではDNA型よりその量が問題になっているようである。
ただしその数値は、鑑定を行った科捜研の研究員が作業の過程をメモしたワークシートに書かれているだけで、DNA鑑定の際の増幅曲線や検量線などのデータは廃棄されており、確認ができない。しかも、ワークシートは(通常は書き換えのできないボールペンで記載するものであるが)鉛筆で記載され、少なくとも9カ所、消しゴムで消して書き換えた形跡があったとのことである。また、鑑定で使用したのはガーゼから抽出したDNA抽出液の一部であり、その残りが保存されていれば、再鑑定も可能だったが、研究員は残液を「2016年の年末の大掃除の時に廃棄した」と証言していると。
破棄したというのは明らかにずさんであるといえるし、このような(客観的な)証拠の状況に頼って、男性側の犯行が証明可能と考えた捜査機関側にも疑問を感じる。
捜査機関側の進め方はさておき、このような証拠の状況であったのであれば本件の判決は妥当であると思われる。
ちなみに、本件においても無罪とされた男性医師は逮捕された時、マスコミに顔と名前等を報道されたようである。日本では当たり前のように被疑者・被告人段階で犯罪者のように氏名等を報道される。以前外国人と話をしたときに、欧米諸国から見れば珍しいという話を聞いた。仮に、男性医師が本当に何もしていないということであればたとえ無罪判決が確定したとしてもその不利益は甚だしいものであり、氏名等を報道するあり方にも疑問を感じるものである。
(弁護士 畝岡遼太郎)
(弁護士コメント)
北野:
今回のDNA鑑定だが、おそらく捜査機関が最初に証拠となった唾液を鑑定したはずである。ただ、DNA鑑定といえども人間の仕事であり、ミスや間違いもありうる。そこで被告人や弁護人にも反対鑑定のチャンスを与え、その上で間違いないかどうかをチェックするのが公正な裁判だといわれる。
なぜ被告人の反対鑑定のような面倒なことが必要なのだろうか。
それは、裁判というのは、万が一間違いがあれば無罪の人間を刑務所に放り込んでしまう結果になるからである。
畝岡弁護士のコメントによれば、DNA鑑定を行った研究機関の職員にずさんな証拠管理があったようで、反対鑑定のチャンスを被告人側に与えなかったことが指摘されたようだ。
人を罪に問う立場の仕事にとって、このようなずさんな管理はあってはならない。仮に証拠が正しかったとしても、疑わしい証拠になってしまえばそれまで真剣に犯罪捜査に関わってきた他の捜査員の努力を無にするだけではなく、なにより被害者が報われない。
そんな疑わしい証拠だからこそ裁判所は信用しなかったのではないだろうか。被害者が強く被害を訴えている中、よく裁判所は踏みとどまったと思う。
もちろん私は全証拠を見たわけではないし、真実は神のみぞ知る、である。ただ、真実を見つけるために用意された適正手続をガンコに守ることも真実を見落とさないために必要なことだと思う。