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ショー化する裁判員裁判、人気があって、おもしろい

裁判員経験者の違和感 多数決で死刑・黙秘・推定無罪…

【裁判員裁判は人気がある】
3年ほど前だが、孫が裁判を見たいというので、裁判所の法廷を案内したことがある。
そのとき、裁判員裁判があるというので、その法廷に傍聴に行こうとした。
法廷の入り口に立っていた裁判所職員から《傍聴は満杯です。抽選であたった人しか入れません》と言われた。
法廷の中を見渡してみると、確かに席は満杯であった。
雛段上には裁判官3名と多数の裁判員が並んでおり、法定全体にある種の熱気が感じられた。
職員に聞いてみると、裁判員裁判は傍聴希望が多く、抽選になることが多いということだった。
裁判員裁判は死刑や無期懲役の可能性がある事件や故意に人を死亡させた案件が対象であり、テレビや新聞、ネット等で取り上げられる事件が多い。
また、裁判官だけの裁判の時代と裁判のやり方も大きく変化しているので、見ていておもしろいという人も多いのではなかろうか。

【米国の陪審員裁判とどこが違うか】
20年ほど、前だか、アメリカのロサンゼルスで裁判を傍聴したことがある。
法廷に入ると、前方の右側にひな壇があり、そこが陪審員の席であった。
10人程度いたように思うが、正確な数は記憶していない。
陪審員は白人、黒人、黄色人種等、肌の色が違う人が並んでいる。
服装も赤、青、黄色の原色の服を着ており、カラフルである。
口をもぐもぐさせている人もあり、これはガムを噛んでいるようだった。
さて、アメリカの陪審制度(各州により異なるかもしれないが)は有罪か無罪かを陪審員が決め、量刑は裁判官が決める制度のようだ。
これに対して、日本の裁判員制度は、有罪か無罪かも、また、量刑も裁判官と裁判員が協議して決定することなので、大きく異なっている。
どちらがいいかどうかであるが、
有罪か無罪かの判断は難しいので専門家である裁判官がリードし、量刑に裁判員の庶民の感覚を反映させるという日本の制度も、それなりに評価できるのではなかろうか。

【裁判員裁判の施行前の予想と現実】
裁判員裁判の施行前に、どのように運営されていくのかという点を考えたことがある。
まず、犯罪一般に関する庶民感情から言えば、量刑が重くなる方向に行くのではないかと予想した。
問題は死刑が増えるかどうかであるが、裁判員としては事前のマスコミ等の情報も入っているだろうから刑が重くなる方向に、また、自分が死刑の判決にかかわるのは嫌だと思えば死刑が少なくなる傾向になる、そのどちらの方向に行くかに関心があった。
今回の記事では、死刑の増加などには言及されていない。
しかし、裁判員裁判では、性犯罪が重罰化されているということのようであり、その意味では庶民の感覚が反映されているようだ。
また、介護疲れによる殺人事件については、刑が軽い傾向があるようであり、これも人情からいえば妥当なところだろう。
なお、裁判官裁判で無罪事件が増えるのか、逆の面から言えば、冤罪事件を防止できるために役立つのかどうかだが、こちらはあまり期待できないのではないか。
専門家である裁判官が有罪という心証を抱いた場合、素人である裁判員がこれを覆す議論をすることはまず、考えられないだろう。

【裁判員制度の抱える問題点】
裁判員にかける負担を少なくするために、検察、弁護人などと裁判の論点が事前に吟味されてはいるようだが、それでも審理にかなりの長期間かかる事件があった。
そのため、裁判員に過大の時間的負担を変える事件が今後も出てくる可能性があり、そんな事件に当たった裁判員は気の毒という人もいるだろう。
しかし、裁判員の負担を軽減して、審理を省略するというのは話がおかしい。
やはり、審理すべき点はきっちりと議論を尽くして、納得のいく判決をするべきだろう。
裁判員が経済的な負担を受けるなら、そのようなことがないように、企業や国が補償する制度をきちんと整備する必要があるだろう。
裁判員の心理的負担という問題も考えておく必要がある。
殺害現場の被害状況のカラー写真や当時の状況の証言などを聞いてそのショックでトラウマになる人もいるようだ。
これに対して、写真ではなく、イラストで説明するというような対策が講じられているように聞いている。
特に、死刑判決に関与した裁判員は、かなり精神的な負担を背負い込むのではなかろうか。
アメリカの陪審制度は、その点を考慮して、裁判官に死刑にするかどうかの量刑をゆだねているのかもしれない。
なお、裁判員裁判を汚職事件など、公務員や政治家が絡む事件に広げるべきだという意見もあるが、この種の事件は汚職になるかどうかの微妙な問題もあり、また、政治的に反対の立場の者の排除に利用されやすいことを考えれば、あえて対象とする必要はないのではないか。

【刑事事件のショー化について】
前記のアメリカの裁判でおもしろい情景を見た。
弁護士が裁判の最後に弁論(要するに弁護側の意見のそうまとめ)をする場面があった。
弁護士は、傍聴席と法廷を区切る柵に軽く体を持たせながら話を始めた。
陪審員に向けての手ぶり、身振りや口調で話しかけている。
何を言うかだけではなく、どのように言うかも弁論のうちである。
自分の主張をどのように陪審員に説明するのか、いかに興味を持ってもらい、納得してもらうのか。
これはもう、陪審員を客とする一種の演技、演出の世界であり、弁護士はその場の主役ではないか。
日本でも、裁判官だけにではなく、裁判員にもいかに納得してもらうかという方向に進んでいるようであり、画面を使って説明をするということも日常茶飯事になりつつあるとの話も聞く。裁判のショー化が始まり、その中で人気のある弁護士が登場すれば拍手が沸くというような時代が来るかもしれない。
私は民事の弁護士であるので、関係のない話ではあるが。

(弁護士 大澤龍司)

 

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