(時事ドットコムから)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date2&k=2010033100775
(記事の要約)
5年ほど前、京都の学習塾講師が小学生を殺害する事件が起きた。先月31日、裁判所は、犯人の雇い主だった学習塾経営者に対し、使用者責任という法律に基づき、遺族に損害賠償を命ずる判決を出した。
(新人弁護士のコメント)
まだ若くお金のない講師に代わり、雇い主から遺族が賠償を受けられる途を開いた意味はあるかもしれない。
しかし、使用者責任という制度は、あくまで事業の執行について従業員が引き起こした損害について雇い主が責任を負う制度である。
今回の殺人はとても塾の経営上起こったものとは思えないし、まさか従業員が本気で殺人を犯すなどと思う上司もまずいない。
このような判決は、本当に妥当なのだろうか。
(先輩弁護士の議論)
弁護士A「犯人と同じ責任だ、というのはさすがにちょっと疑問を感じる。」
弁護士C「この事件は教室内で起こったと記憶しているが、塾の構内で起きたからには塾に責任がある、ということだろう。」
弁護士B「殺人罪に問われた刑事事件では心神耗弱が認められて、若干刑が軽くなっている。事前に塾側は精神的な問題を把握できなかったのだろうか。」
弁護士A「この議論は記事だけをネタにしているので、深いところまでいけないのだが、講師の不適当な動きがかなりあり、塾側もそれを把握していたという事情があったのではないか。ただ、問題のある講師ということが分かっても、殺人まで予測できたんかな。」
弁護士B「塾側は、保険などで賠償金をカバーできるのではないか。賠償の問題は誰が悪いかどうかではなく、生じた損害を誰がどういう形でカバーするのがよいか、という発想で考えられるべきだ。」
弁護士C「今回の場合でも、お金や保険があって、賠償できるのは塾だけ、という被害者救済の発想が裁判所にもあるのだろう。」
(新人弁護士のつぶやき)
「誰が悪いか」ではなく「誰が損害をカバーできるのか」という発想。
裁判所も含め、我々法律家の仕事は、まさに被害者の損害をカバーするためどんな理屈を考えていけるのか、ということなのかも知れません。
これも深いテーマであり、またの機会に検討したいと思います。