(asahi.comから)
http://www.asahi.com/national/update/0512/TKY201005120247.html
(記事の要約)
小沢一郎民主党幹事長の政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑について、起訴相当と判断した検察審査会の判断を受け、東京地検は再度、小沢氏その他元秘書らに再度の事情聴取を要請した。
(新人弁護士のコメント)
そもそも検察審査会制度は、起訴・不起訴を判断する検察官が不起訴処分にした事件について、一般市民の視点から事件を見直すことで、市民感覚に沿った判断を検察にはたらきかける、というものである。
以前はその判断に拘束力がなく、単なる「ご意見」にすぎなかったが、最近の改正で一部拘束力が認められることになった。
今回の事件では、プロの法律家集団である東京地検特捜部の不起訴と、一般市民から構成される検察審査会の判断とが真っ向から対立する。記事にもあるように、審査会は小沢氏が虚偽記載に関与した事実が認められるとしている。なぜ検察の判断と、審査会の判断は違ってしまったのだろうか。
(先輩弁護士のディスカッション)
弁護士A「小沢さんの弁解はおかしいと多くの人が思っているだろうと思う。ただ起訴するというのは、それが裁判で証明できるのかという問題でしょう。検察審査会は、この立証の問題をどの程度考えたのでしょうか、その点が気になりますね」
弁護士B「検察はプロなので、起訴するからには有罪を立証できるという前提でしょう。プロだからこそできない思い切った判断ができることも検察審査会の役割ではないでしょうか。」
弁護士C「検察に政治的な圧力がかかって不起訴になった場合であれば、審査会が起訴の判断を出すことにも意味があるでしょうね。」
弁護士A「かつて、甲山事件というのがあって、検察が不起訴にしたのに、検察審査会で起訴相当としたことがあった。結局、長年の裁判をした後に無罪になったのだけれど、無罪になったからといって、それでいいというものでもないだろう。
政治家や企業のトップということで起訴されないというような場合には検察審査会もそれなりに役立つ場面があるだろうが、それが個人に向いた場合には恐ろしいことになるという場面もあるのではないかな。
それと、今回の事態の根本には、一般市民が納得できるような結論を検察が出せなかったという捜査のまずさに、検察審査会がレッドカードをつきつけたという面もあるんだろう」
(新人弁護士のつぶやき)
たしかに刑事裁判には事案の真相を明らかにする目的があります。しかし、刑事裁判を通じて国家権力を濫用しないよう、審査会の判断は十分な慎重さが求められるところだと思います。