さすがに京都、井伊掃部(いいかもん)東町や毛利長門西町なんという町名が残っている。
私の自宅は枚方で、ちょうど京都と大阪の中間あたりになる。
京阪沿線の丹波橋駅までは電車で約30分ぐらいだ。
京都の地図を見ていると、この駅の西側に御駕籠町、鷹匠町、紺屋町という江戸時代のような名前の町がある。
駅をおりた東側のすぐのところには長岡越中東町なんていうのもあるが、これは越中(新潟県)の長岡藩にちなんだ町名だろう。
地図には、井伊掃部(いいかもん)東町、毛利長門西町、松平筑前東町、福島太夫などという町名もある。
ひょっとすると藩の屋敷や蔵なんか残っているのではなかろうかと、先週の土曜日(5月22日)に行ってみた。
ごらんの写真のとおり、長岡越中東町という住居表示があり、井伊掃部(いいかもん)西町も、その他の町名もあった。
ただ、昔の屋敷や蔵は残っておらず、京都教育大付属小中学校や住宅街だけがあった。
土曜日にもかかわらず、歩いているのは、ほとんど私のみというようなしずかなところであった。
帰りに伏見(京阪の伏見桃山駅近辺)も歩いてきたが、このあたりには、酒蔵もあれば、町屋もそこそこ残っていて、昔のにおいがかすかにするし、人の数も多い。
恐竜が滅びたように、図体の大きな大名や藩の屋敷などはなくなり、ほにゅう哺が生き残ったように、士農工商の身分の低い商人の家がしぶとく生き残っているということだろう。(龍)