実は、鏡王女の墓に行ったのは、《茜さす 紫の行き 標野行き・・》で有名な額田王(万葉集の№1の女性歌人である)に導かれてである。
本を読んでいると、額田王の母は鏡王女と書いてあるものがあり、また、他の本では姉妹だとも書いてもある。
墓の前にあった案内板には「万葉歌人として有名な額田王の姉にあたるとされ」と記載されている。
学者などは文献をいじくりまわして、甲論乙駁、牽強付会、自分に都合の悪い部分は軽く扱い、有利な部分を固執して論文をまとめる。
まるで弁護士が裁判所への提出書面を書くように自説を主張していると同じではないか。
万葉集に二人の歌が相次いで載せられている。
「君待つと わが恋ひ居れば わが屋戸(やど)の すだれ動かし 秋の風吹く」
(額田王:巻4の488。私訳:恋しいと待っているのにあなたは来ない。すだれが動いたのであなたかと思ったら秋の風だった。もう、そんな季節になったのね。)
それにしてもこの歌、千数百年も前に作られたのに、分かりやすいく、詠った気持ちもよくわかる、すばらしい。
この歌についで
「風をだに 恋ふるは羨し 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ」
(鏡王女:巻4の489。私訳:すだれを動かしたのが風であっても私は羨ましい。あなたは来てくれるかもしれない人がいるのに、風だったなんて不満を言ってはいけないわよ。私にはいないもの・・)
こんな歌を交わすことができるのは、二人がものすごく親しい関係だったのだろう。
来ぬ人を待つ気持ちを歌い上げる額田王、それをうらやましいなぁとウィットを込めて茶化してみせる鏡王女。
ものすごく親しい女友達、おそらく姉妹と言っても間違いないだろう。
そして、たしなめている鏡王女の方が年上のように思われる。
さて、鏡王女の墓はここにあるが、額田王の墓はどこにあるのだろうか?
こんなに仲が良ければ、死んでも近くにいたいという気持ちもあったのではないか。
鏡王女の墓に来る手前に、一か所、こんもりとした木立があった。
所詮は、その木々も、最近、せいぜい100年以内に生えたものではあろうが、それでも周囲の土地と区別した形で木々が生えている。
私は勝手に妄想する、《ひょっとするとこれは額田王の墓かもしれない》
もちろん、誰一人もそんなことは言っていないけれども。
鏡王女の説明板。ここに姉妹と書かれている。
鏡王女の墓の手前にある木立
これが額田王の墓だという人などはいないのではあるが・・