大伴皇女の墓を後にし、鏡王女の墓も下っていくと、忍坂古道に流れ行く小川がある。
小川には沢山の岩が転がっているが、少し大きめのがある。
坂を上がっているときには気づかなかったが、他の岩とは色が違い、やや薄茶色である。
石には興味があるので、この岩、なぜ色が違うのかと不思議に思って、注目したときに気づいた。
岩の表面が長方形に削られ、そこに字が刻まれているのだ。
右下の字は「鏡王女」とある。
続いて3行は「秋山之 樹下蔭 逝水乃」とあり、《あきやまの このしたかげ ゆくみずの》と読むのだろうか、和歌が刻まれている。
川の中にこのような碑があるのには全く気付かなかった。
その後の文字は「吾許曽・・・」とある。
《われこそ》だろうが、その後は読めなかったが、和歌の後半が続いている(※注1)。
末尾に「孝書」とあるので、おそらく犬養孝先生の書のようだが、付近には何の説明板もない(※注2)。
川の中にポツンと置かれている。
気づくならそれでいい、気づかないならそれはそれでいい、ともいうようなふうに。
岩自体は川に転がっている他のものと同じ種類のもののようだ。
近くに寄って見たのではないからはっきりしないが、色が違うのは苔か地衣類のせいだろう。
この岩、和歌を刻むために一旦は川から引き上げられたのではあろうが、再び、小川の中に持ち戻されたのであろう。
注意して見ないと、山から転げ落ちた岩があるな、としか見えない。
この岩の位置やさりげない置き方も、犬養先生がきっと指示されたものであろう。
※注1 本を見ると、全文は次のとおりのようだ。
秋山の木の下隠(かく)り 行く水の 我こそ 益(ま)さめ 思ほすよりは
※注2 実は、この記事を書いた後に、再度、現地を訪問したところ、説明版を発見した。この点は、今後、別途、《再び、忍坂を訪れる》というシリーズで述べてみたい。
小川の中にある歌碑。
山から転がり落ちた岩という感じだ。
犬養先生って、こんな字を書くんだ。