有馬皇子のもう一つの歌は
「家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕(くさまくら)旅にしあれば椎(しひ)の葉に盛る」
言わんとするのは、家では椀で食べるご飯を旅先だから椎の葉にのせて食べるという、ただそれだけの歌である。
この歌を始めて知ったのは高校の古文の時間であった。
率直な印象はなんともつまらない歌だろうだった。
小学校の子供が作る歌かとも思った。
教師が有馬皇子は処刑の前にこの歌を詠んだという説明をした。
すると、今度は《それは、なんとも不平等ではないか》と思った。
作者の不遇な境遇があるために、つまらない歌であっても、長く歌い続けられる。
それはおかしい・・
その時の思いが強烈で、今でも記憶に強く残っている。
しかし、自分の中では矛盾する気持ちもある。
私は俳人の山頭火が好きである。
《後ろ姿のしぐれていくか》
《分け入っても分け入っても青い山》
という句がある。
これだって、ずいぶんつまらない、小学生の、などと言えそうだ。
しかし、この俳人が子供の頃、その母親が井戸に飛び込み、その死体を見た、
そのことにより終生ぬぐいえないトラウマを背負い続けたことを考えると、
この句が生きてくるし、心にしみわたってくる。
どこが違うのだろうか?
庶民(といっても山頭火は山口県の大地主の子供であったが)では良くて、皇子であるから駄目だというのなら、それは貴族や天皇など、高貴な人がいるということに疑問をもつという、あの高校の時代の自分の気持ちのなせる業かもしれない。
まぁ、そのような考えは今でも変わってはいないが。