弁護士大澤の日々の心模様 記事一覧
この人生、この人情
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てくてく旅行記
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つれづれに一言
てくてく旅行記
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クラスメートのささやかな声援 ~大阪の老弁護士の人情人生②
(自分以外には誰も立たなかったという、前回の話の続きである) その後、私からこの《事件》の話をするこ…
たった一人の起立 ~大阪の老弁護士の人情人生①
小学校3年ころの話である。 担任の先生が、急用ができて 「午前中は自習」ということになった。 クラス…
忍坂坐生根(おつさかいますいくね)神社:この灯がいつまでも続いてほしい。~再度忍坂を歩く(2019.3.13)⑦
日も沈みつつあったので、大伴皇女の墓を急いで下りてきた。 後は大和朝倉駅に向かうのだが、最後に楽しみ…
鏡王女の説明板はあった。林の中にひっそりと設置されていた。 ~再度忍坂を歩く(2019.3.13)⑥
以前、鏡王女の歌碑の話をし、その説明板がなかったと書いた(リンク:小川の中の岩に何か刻まれているもの…
ノートルダム大聖堂火災 再建に向けて
外部リンク: ノートルダム大聖堂火災 再建に10~15年 ノートルダムが燃えている… 大きな炎に包…
墓(大伴皇女)の前の階段に座り、夕暮れの二上山を見る。風は強く、木々がこすれ合って悲鳴をあげていた。~再度忍坂を歩く(2019.3.13)⑤
粟原寺跡から忍坂の町並みに来たときにはもう太陽が沈みかかっていた。 大伴皇女の墓に寄っていこうか、ど…
小川の中の一輪の桜草、額田王とゆかりがあるのか? ~再度忍坂を歩く(2019.3.13)④
額田王の終焉の地と云われることもある粟原寺跡を後にして、行きとは違う道で坂を下りだしたときだ。 寺跡…
寺の建物の礎石だけが残っている寂しいこの土地が、果たして額田王の終焉の地だったのか? ~再度忍坂を歩く(2019.3.13)③
粟田川沿いに上流へ30分ほど歩いただろうか。 《粟原寺(おおはらじ)跡》の看板があり、そこで川から離…
ヤマトタケルが死ぬ前に詠った《うるわし》の土地はここではないか? ~再度忍坂を歩く(2019.3.13)②
忍坂古道を歩き、国道を横切ると右下に川が見える。 これは粟原(おおはら)川でそこを上流に向かって歩く…
春だが、まだ冷たい風の中、青空を背景に梅はキリリと咲く ~再度忍坂を歩く(2019.3.13)①
忍坂の道を、鏡王女の墓の方に行かずに、直進する。 町並みの途絶えたところで、畑や山が見えてきた。 前…