冬の奈良を歩く⑦
《仲麻呂の見た月は》
山際から満月がでるときに、《月って大きいなぁ》と驚くことがある。
しかし、実際は5円硬貨を持ち、手を伸ばした時のその穴のぐらいだという。
それをいかなる理由によるのか、人はかなり大きく感じるようだ。
日が暮れかかり、飛火野を出るとき、月が出ていることに気付いた。
「天の原 ふりさけ見れば
春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
奈良時代の遣唐留学生阿倍仲麻呂の歌の世界ではないか。
仲麻呂は唐の最盛期である皇帝玄宗の時代に中国に行き
そこで高い官職にもつき、李白や王維という大詩人とも交流があった。
(当時の唐の長安は、今でいえばニューヨークというところだろうか。)
唐にあること35年目にして、仲麻呂は日本に帰ることになった。
歌は、その時のものであるという。
しかし乗った船が難破し、命からがら長安に戻った仲麻呂が、その後、日本に戻ることはなかった。
そして仲麻呂は晩年、唐の役人(節度使)として安南(ベトナム)にまで行き、結局、73歳で世を去ったという。
さて、仲麻呂は、先ほどの歌を詠んだ後も、もちろん何度となく、月は見ていたであろう。
安南でもし、月を見ていたとすれば、その時、心に浮かんだ《故郷》は唐の都の長安であったろうか、あるいは奈良であったろうか。
長安も奈良も浮かんだとすれば、浮かび出た月のイメージはどちらの方が大きかったであろうか。
飛火野の月(中央の木の右上の小さな点が月である)
(弁護士 大澤龍司)