(2018.5.5)
トンネルの先の崖からの噴出水を見たとき、自然の厳しさを垣間見た。
もし、この先の山道を歩いている時、突然、雨が降り出していたら・・・
水は怒涛の如く腰あたりの高さまで噴き出していただろうし、山道は水没していたのであろう。
激しい雨の中で私たちは立ち往生したに違いない。
私たちは、自然を楽しむということで、弟などは革靴というなんとも安楽で、気軽なハイキング気分で歩いていたが、一歩間違えれば、自然はその牙をむき出すということだ。
私達が楽しんでいたのは、変転自在の自然のうち、天気がよく、寒くもなく、風も吹かない、ごく安全な部分のみであった。
しかし、自然は、状況によっては、一転して危険なものになりかねない、ということがよくわかった。
昨年、バスから見た、畑を耕している農婦たちの《牧歌的》な姿も、それはあくまで妙高の自然のもっともよいシーズンの話でしかない。
ここに住んでみれば、毎年、木の根元さえ曲げてしまうような雪の圧力があり、強い風が吹くであろう、その中でそれを耐え忍んで彼女らがここで生き続けているということだ。
自然の厳しさとそれに耐えうる人間の強さ、忍耐、その長年の継続として成り立った開拓、妙高には目に見えないものが積み重なっている。
妙高の自然の厳しさを体感した