この夏はともかく熱かった。
長男とお盆は避暑に行こうかということで、あちらこちらの宿を探したが、6月末のことで、時すでに遅しで、どこも満員だった。
唯一、葛城山の国民宿舎が宿泊可能ということで、2泊することにした。
コースとしては、近鉄の御所駅で降り、そこからバス、ロープウェイと乗り継いでほぼ山頂にある宿に着き、自宅からは片道3時間程度だった。
バスの終着の葛城山ロープウェイ駅でバスを降りたとき、はるか下方に御所の街並みが見え、その後方に懐かしい山が見えた。
《あ、耳成山!》
平野にこんもりと盛り上がっている山の形で、一目で耳成山とわかった。
御所は奈良県だということはわかっていたが、まさか耳成山が見えるとは、そしてこんなに近いとは。
写真には写っていないが、耳成山の右手前には畝傍山が、右の奥手には天香久山が見えており、大和三山が一望できる。
ついでに言えば、耳成山の奥の方にある高い山が三輪山ということだが、2つの峰のどちらがそうなのかはわからなかった。
この大和三山に囲まれたところは藤原京があったところであり、耳成山の右手奥、天香久山の右側が明日香になる。
葛城山麓は、飛鳥時代の大和朝廷をささえた有力部族である葛城一族の本拠地であり、古くから開けたところである。
バスに乗っていると《櫛羅》などという何とも渡来人の時代を思わせるような駅名もあり(参考までに言えば、この駅名は《くじら》と読む)、猿目などという他ではあまり見かけない地名もあり、ここが古代から開けた地域であったと思わせるものがある。
飛鳥時代でも奈良時代でも、いつの時代もそうであるが、天皇の後継者や豪族の勢力争いが絶えず起こっていたはずであり、有力豪族はどちらの勢力に加担するのか頭を悩ませていたであろう。
一族の命運がかかる事態もあり得たはずであり、そのようなとき、都が一望できるこのような場所に来て、心静かに一族の行く末を思いやり、決断が出るまでその場に立ち尽くすというようなこともあったのではなかろうか。
中央のややこんもりした山が耳成山。奥の高い峰が三輪山。
《櫛羅(くじら)》のバス停。
《猿目》も何やら古代の地名を思わせる。
御所の一つ手前の駅は《忍海(おしみ)》。これも古代の地名の感がある。