御所の駅からロープウェイ駅までの間、バスに25分くらい乗ったであろうか。
バスの窓から見ていると、百日紅(さるすべり)の木が多い。
道沿いにある古い家なら、ほぼ2軒に1本の割合でピンクや赤の花を咲かせている。
百日紅は、はるか昔の夏を想い起こさせる。
海辺の海岸沿いの道、少し左にカーブした岬の突端に向かって歩いている、その私の右側に百日紅がピンクの花を咲かせている。
場所は裏日本の福井県あたりの海岸、時間は午後3時ころだろうか、太陽の日差しは刺すように強い。
誰か友人と行ったはずだが、それは弁護士の武村君らなのか、あるいは高校と大学同級であった坂本君らなのかも思い出せない。
正直に言えば、この記憶さえ、本当はどこまで現実であったのかも、定かではない。
遠い日の記憶は、その多くが忘れ去られ、二度と戻ることはない。
また、今、残っている記憶にしても、事実に反して自分が作りだした部分もあるだろう。
結局、間違いないのは、《夏、暑い日に海のそばで百日紅を見た》ということのみであるかもしれない。
しかし、その核心部分だけは何十年も経た今での心の中にしっかりと根を生やしている。
さて、葛城で見た百日紅、心の中にどこまで根を生やして、記憶に残っていくことだろうか。
民家には百日紅の花が多く咲いていた。
この景色も遠い記憶になるのだろうか。