葛城山2日目は山頂から麓まで歩いて降りた。
葛城山へのメインの登山道は、豪雨で道が崩れ、通行禁止になっていた。
そのため東尾根のコースで下山した。
尾根筋の道は、いわば山の背にあたる部分のため、通常は見晴らしの良い景色が続くのだが、ここは違った。
道は雨のために深くえぐれている上に、左右には樹木が茂っており、見晴らしなど望むべくもない。
わずかに途中に見晴らし台があり、そこのただ1ケ所だけが景色が良かった。
朝は晴れていたが、昼過ぎから雷を伴う猛烈な雨となった。
用意していた傘をさして道端で休憩を取った。
小降りになったので、麓のロープウェイ駅の近くまで降りた。
ずぶ濡れ状態だったので、すぐにロープウェイに乗って宿舎に帰ることも考えたが、近くに櫛羅(くじら)の滝があり、昔、役行者がここで修行したと伝わる。
せっかく来たのだからと、その滝を見に行った。
途中、晴れのときなら、水がないか、あってもせいぜい10センチくらいの細い小川があったが、今までに降った水があふれ、流れていた。
そこを渡ったときには、靴は水没し、靴下まで濡れてしまった。
山岳仏教の開祖である役行者が修行したのだからさぞかし、深山幽谷であり、大きな滝であろうと思ったが、高さはせいぜい7メートル前後だろうか、迫力があるとは到底言い難く、本当にどこにでもあるような滝であった。
滝であるから、岩盤から水が流れ落ちているのであるが、下流は岩がなく、一面砂、花崗岩が風化した白砂(真砂土)であり、これも迫力がないと思わせる理由の一つである。
しかし、考えてみれば、その場所がどのようなものであれ、当の本人である役行者がどのような気持ちで修行するかの問題であろう。
大昔、このような場所には人は来なかったであろうし、心行くまで修行に打ち込むことができたであろう。
そのようなどこにでもあるような、ありふれた滝を修行地としながら、その結果として修験道の開祖となったということであれば、場所にとらわれずに1つの宗教を完成させた役行者の、人間としての偉大さをこそ賞賛するべきだといえようか。
よくよく考えれば、何十メートルの高さであれば滝に打たれての修行などできない。この程度の高さがほどほどというべきか。