外部リンク:法隆寺の焼損壁画、一般公開へ 敦煌と並ぶ世界的傑作
奈良の法隆寺で、金堂壁画が公開されることが決まった。
その壁画は、戦後すぐに、修復工事に携わった画家の電気ストーブからの失火により大半が焼失した。
その焼け残りの壁画を公開するという。
奈良の法隆寺は聖徳太子ゆかりの寺であり、五重塔、百済観音から夢違観音、玉虫厨子など、多くの国宝がある寺だ。
これらに加えて壁画が新たに公開されるということはうれしい。
ただ、公開について、一つの提案がある。
「原状」で公開してはどうかということだ。
今回は焼け残った壁画を公開するようであり、それは「現状」での公開ということになる。
あえて、「原状」といったのは、こんな理由からだ。
京阪電車を京都の七条駅で降りて、東に行くと京都国立博物館があるが、そこをさらに行けば智積院という寺がある。
ここには安土桃山時代の有名な画家の長谷川等伯(ハセガワトウハク)とその子久蔵(キュウゾウ)の障壁画があることで有名だ。
寺では、国宝館でこの障壁画の現物の全部を展示している。
その建物の扉を開くと広い室内一杯に絵が広がっている。
ただ、保存方法が悪かったせいなのか、色がくすみ、線が不明瞭で、絵としての迫力は伝わってこないのである。
この絵は、できた当時はどうであったのか、今の「現状」ではなく、昔の「原状」が見たいと思った。
この絵ができた直後は、どれほど豪華絢爛、華麗なものであったろうか。
現在は修復技術が進歩している。
例えば、戦後直後の日本の映画監督黒澤明や溝口健二のフィルムが修正され、リマスター版として公開されている。
現在のデジタル技術をもってすれば、修復は可能だろう。
デジタルカメラで精密な撮影をしたうえで、その画面に、制作当時にそうであったと想定される色を付け加えていくということも可能であろう。
その過程で、AIに等伯らの他の絵画における着色技法を覚えさせるという技術などを利用すれば、それほどの困難もなく、「原状」版が完成するのではなかろうか。
幸いにして、法隆寺の壁画については、修復前に撮影した写真の原板が残っている。
これをもとに、現存の焼け残った壁画に残っている色を参考に壁画を作成して、公開してほしい。
もちろん、それは偽物だといえばそうであろう。
しかし、どうしても現物を見たいというのであれば、「現状」の焼け残った壁画も併せ、双方を公開すればいいではないか。
ただ、「原状」だからといって、いい加減なものは作ってほしくはない。
どの色を選ぶかは、芸術家の卓抜したセンスが必要不可欠である。
例えば、日本画家土屋礼一作った「原状」版もあれば、同時に他の画家の作った「原状」版もあるというのがあれば、本当におもしろいのではないか。
ベートーベンやモーツァルトの楽譜が指揮者により、多彩に演奏されるのにも似て、「原状」版それぞれを楽しむことができる時代は来ないものか。
(弁護士 大澤龍司)
(弁護士コメント)
岡井:
たしかに、大澤弁護士の言う「原状」版も作成してもらえれば、見た時の印象が大きく違うのだろう。
当時の人々が見ていたのと同じ壁画を目にできるとなると、それはノスタルジックな良さがある。
ただ、本格的に「原状」版を作成しようとすると、任された画家としても、責任は重大で、中途半端なものを世の中に出すわけにもいかず、ここからまた何年も時間がかかることになるのかもしれない。
この記事でもう一つ驚いたのは、昭和27年に作られた収蔵庫が、マグニチュード7クラスの大地震に耐える強度を保っていたとの事実である。
昭和27年というと、築60年以上ということになる。
昭和24年に、火災で大半が焼失するという災難に見舞われたこの壁画を、これまでこの頑丈な建物が守ってきたのかもしれない。
北野:
「現状」と「原状」とは同じ読みでも法律上は大きな違いがある。
法律上、売ったマンションを買主に引き渡すときは「現状」で引き渡せばよいのが基本であり、わざわざリフォームで新品の状態にして渡す必要はない。
これと違って、借りたマンションの部屋を退去して返す場合、借り始めた当時の状態に戻さなければならないこれを「原状」回復という(とはいえ、「新品の状態に戻せ」という意味ではないので注意が必要である)。
同じ読みでも大きな違いである。
さて本題の美術品の「原状」回復だが、たとえばミロのヴィーナスのように「現状」では両腕が欠けている。人によっては欠けた両腕の形(=「原状」)はむしろ想像に委ねるのが楽しいという作品もあれば、ホントにどんな「原状」だったのかを見てみたい作品もある。今回の法隆寺の絵画などは「原状」を見てみたいし、そこに描かれた当時の人々の文化をのぞき見たい気持ちもある。
技術が進めば昔の生活と離れていくようにも感じるが、技術が進むからこそ昔と今がつながる部分もある。技術の発展によって昔と今がまた一つつながっていくことに期待したい。