忍坂古道を歩き、国道を横切ると右下に川が見える。
これは粟原(おおはら)川でそこを上流に向かって歩く。
右手側には、川を挟んで畑が広がり、その向こうに小さな山が幾重にも重なって見える。
後方はるかには、高い山並みが連なる。
この景色を見ていると心の中から浮かんできたものがある。
《倭(やまと)は国のまほろば たたなづく 青垣
山隠(こも)れる 倭し 美(うるわ)し》
(訳注:やまとは国の中でいちばん良いところである。幾重にもかさなりあった青い垣根のような山々に囲まれたやまとは、ほんとうにうるわしいところである。)
古事記によれば、倭建命(やまとたけるのみこと)が戦さで傷つき、
その命が尽きようとするとき、故郷を想って詠ったものだという。
古人は、この目の前のような風景を思ってこの歌を作り出したのではないか。
それから千数百年を経過した現在、広がる畑、それを潤す川、森、山々を見て、私の心にこの和歌の記憶が呼び起されてくる。
和歌を作った人の思いとそれを今、思い出している私との間には、この景色を媒介として共通する感情が存在するかのようである。
もちろん、私の感情は、この歌の作者の全身からあふれ出すような望郷の思いからみて、はるかに及ばないものではあるけれども。
誠に、目の前に展開するこのパノラマは《倭し 美し》というべきものにピッタリである。
何事につけても《絶景》と言いたがる最近の風潮。
しかし、このような風景こそ心に深く食い入るのではないか。