《この秋の連休、蒜山にアタック! ②》
根雨(ねう)駅で宿の送迎バスが発車して、すぐに「生田長江」と書かれた看板を見つけた。
町役場(日野町)の入り口の横に大きな字でと書かれている。
どうも人の名前らしいので、運転手に聞いてみた。
《いくた ながえ、って誰のことですか?》
《チョウコウ》という答えが返ってきたが、それだけだった。
私は次の質問をした。
《江戸時代の国学者みたいな名前ですね》
答えはなかった。
宿の送迎バスに乗る時は、必ず運転手に話しかけることにしている。
運転手は間違いなく質問に答えてくれる。
左右に見える景色の簡単な説明もしてくれることも多い。
《観光客はいかないけれど、あそこは行った方がよい》などという、秘密の情報を話してもくれる。
そして何よりもうれしいのは、その土地が育んだ、その地域の人の持つ特有の雰囲気、人情が伝わってくる。
しかし、答えが《チョウコウ》だけではねぇ・・
一体、どんな土地なんだ、ここは。
このコロナの流行する時期だから、車内という密閉空間で運転席の後ろ(密着してなかったけれども)で話をするのはタブーだったのか。
しかし、それなら、一言、そう言えばいいのに。
おかげさまで、バスの横を走っている川の名前も聞けなかった。
途中にある古い小学校の校舎風の建物(降りてっゆっくりと見学したいような感じだった)はなんですかとも、又、道路に沿って広がっていたダム湖についても、質問したいことはいっぱいあったけれども、聞くのはあきらめた。
しょうがないから、ウイッキペディアで検索すると、生田という人は、根雨駅のある日野町出身で、明治から昭和にかけての文学者でかなり有名な人のようだ。
《資本論》第1巻を翻訳したとある。
又、木下尚江という明治の社会運動家とつながりがあったとか、「原始、女性は太陽であった」で有名な「青鞜」の平塚らいちょうの運動を支援したとも記載されていた。
こんな、小さな田舎町でも、大きな志をもち、社会に眼を開いた人物が生まれるのだなぁと感心した、
しかし、こんな運転手が多いような人情の町であれば、チョウコウもすみにくかっただろうなぁ。
降りる時に言いたかった。
《おい、運転手、チョウコウが鳴いているよ》と。
まぁ、もちろん、そんなことは言いもしなかったけれども。