《5人入り乱れての愛憎劇》
庭の写真の横に長沼家の家系図のパネルがあった。
智恵子というか、うん、やはりここではチエと呼んでおこう、
父今朝吉、母センの間には8人の子が生まれている。
今朝吉の時代、酒造業は繁盛しており、夫婦仲も円満だったのだろう。
最初にチエが生まれ、その後に3人続けて女が生まれた。
5番目に、チエから11歳離れて男が生まれ、啓助と名づけられた。
家系図には啓助の配偶者が3人、記載されている。
《初婚妻美代》は名前だけが記載されていた。
しかし、《次婚妻吉田テイ》、《三婚妻新井あき》は苗字が記載されている。
初婚妻テイは正式な結婚で、次婚、三婚は内縁あるいは愛人関係だったのか。
妻テイと母セイとの間に当然嫁姑の確執はあっただろう。
啓助と3人の女との間、妻と愛人同士の間のいさかいもあっただろう。
加えて、セイと啓助は不動産をめぐる激しい争いをしていたという。
三角関係どころか、人間数だけでも五人の男と女、親と子の複雑な関係。
怒声が飛び、涙の滴り落ちる愛憎劇がこの屋根の下で繰り広げられていたのだろうか。
昭和4年、家業の長沼酒造は破産し、一家は離散した。
このときチエは44歳、心の病を発するのはその2年後である。