《「青鞜」の表紙絵を描く長沼知恵》
今から110年前の明治44年(1911年)、女性の文芸誌「青鞜」が創刊された。
平塚らいてうの創刊の辞は有名だ。
「元始、女性は実に太陽であった。
真正の人であった。
今、女性は月である。
他によって生き、他の光によって輝く、
病人のような蒼白い(あおじろい)顔の月である。」
創刊号の表紙の作者は「長沼知恵」と記載されている。
知恵子は日本女子大学で、らいてうの1年下であった。
テニスをしたこともあったようで、かなり親しい間柄だったのだろう。
智恵子が青鞜の仲間たちと写っている写真も存在する。
しかし、同人としては目立った活動はしていない。
たまたまらいてうに依頼されて描いたに過ぎなかったのだろうか。
38歳のころに、智恵子が書いた記事が残っている。
「新時代の女性に望む資格いろいろ
あなたご自身、如何なる方向、如何なる境遇、如何なる場合に処するにも、
ただ一つの内なるこえ、魂に聞くことをお忘れにならないように。
この一言さえ確かならあらゆる事にあなたを大胆にお放ちなさい。
それは最も旧く最も新しい、成長への唯一の人間の道と存じます故。
限りのない細部については望みきれません故に」
らいてうとは行動を共にしなかったけれども、
うちに赤々とした炎を燃やし続けた女であったことは間違いないようだ。