《輝く阿弥陀より、くすんだ空也が好きだ》
浄瑠璃寺の本堂の前には池がある。
テレビで夜の浄瑠璃寺を放映していた。
池の向こうから本堂を撮影している。
障子は開け放たれ、
闇の中で、ライトアップされた阿弥陀仏が輝いていた。
それは景色としてきれいだった。
さて、京都の六波羅蜜寺に空也上人の像がある。
平安時代の天災や疫病のうち続く京都で
貧窮にあえぐ人々を助けるとともに、
念仏を唱えることを進めた僧である。
この空也は小さくてやせ衰えている。
口から小さな阿弥陀仏が飛び出している。
念仏の《南、無、阿、弥、陀、仏》の6字を表現している。
見たのは何十年も前だが、
この像が、今でも、私の心の中にどかっと座っている。
本当にものすごいインパクトがあった。
金色でもなく、堂々としてもいない。
むしろ貧相というのがふさわしい。
空也証人の人としてもオーラがすごく、
それがこの像に乗り移っているということだろう。